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昭和天皇はミイラでなく土葬:エピソードや冷凍保存など噂の真相

元号でいうと現在は「令和」の世の中です。古い時代は違いましたが、近世になってからは天皇陛下の代替わりの際に元号の変更が行われ、令和の前は平成であり、平成の前が「昭和」という元号でした。

昭和天皇が崩御されたのが1989年1月7日で、2月24日に執り行われた「大喪の礼」ののち、武蔵野陵に埋葬されたのですが、一部では都市伝説のように「昭和天皇はミイラになった」と語られています。

この記事では、なぜミイラの話が取りざたされるのかその原因と、昭和天皇の崩御と葬儀にまつわることについて解説します。

昭和天皇:ミイラ

記事の内容

  • 昭和天皇の崩御とミイラと言われる原因
  • 昭和天皇とは?そのエピソード
  • 昭和天皇の死因
  • 「体温が20℃?」当時の報道
  • 昭和天皇崩御と大喪の礼
  • 昭和天皇の棺
  • 埋葬方法は土葬
  • 昭和天皇とミイラに関する噂と真実
  • 冷凍保存されていた?
  • 奥さんは生きている=嘘
  • 墓の内部
  • 天皇の崩御にまつわる上皇のお言葉
  • 総括:昭和天皇はミイラではないが土葬されています

昭和天皇の崩御とミイラと言われる原因

もう今から三十数年前の出来事になってしまいましたが、第二次世界大戦を挟んで天皇としてあり続けた昭和天皇の崩御は、国際的にも大きなニュースになりました。

まずは昭和天皇の崩御にまつわる様々なエピソードについて、その真偽も含めて見ていくことにしましょう。

昭和天皇の崩御とミイラと言われる原因

昭和天皇とは?そのエピソード

昭和天皇は日本の第124代天皇で、1901年(明治34年)4月29日に皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の第1皇子として誕生しました。大正天皇の崩御に伴い1926年12月25日に天皇に即位します。

戦前の大日本帝国憲法下においては立憲君主たる地位にあり、現人神(あらひとがみ)とも言われたのですが、昭和天皇自身は「私は普通の人間と人体の構造が同じだから神ではない。そういう事を云われては迷惑だ」と側近に言ったと伝わっています。

昭和天皇とは?そのエピソード

終戦時の「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」という玉音放送の言葉は誰もが聞いたことがあるでしょう。この時の敗戦によって昭和天皇の地位は大きく変わってしまいます。「人間宣言」を発表し、現在も続く「象徴天皇」としての在り方を形作りました。

大の相撲好きとして知られ、生物・自然に造詣が深かった昭和天皇です。お言葉の一つに「雑草という植物はない」とうものがあり、非常に生真面目な姿がしのばれます。

昭和天皇の死因

昭和天皇の死因については宮内庁の発表で「十二指腸乳頭周囲腫瘍(腺がん)」とされています。

崩御前からいろいろな憶測を呼んだことですが、崩御の直後に行われた記者会見で高木顕侍医長が「最終診断は十二指腸乳頭周囲腫瘍」であることを初めて公式に告げました。

崩御の前年、1988年9月19日に昭和天皇は大量の吐血をされ重体に陥ってしまいました。それからというもの、各報道機関から昭和天皇の容体について細かく報道されるようになり、崩御のその日まで日本は異様な雰囲気に包まれていました。

「体温が20℃?」当時の報道

昭和天皇崩御のその日までテレビなど逐次体温や脈拍・血圧などを伝え続けたのですが、崩御直前に緊急テロップで「体温20℃、脈拍32、血圧40~50、呼吸数2」と報道されたことが、未だに本当だったのか議論が絶えないようです。

普通に考えると生きていられないようなデータですが、崩御される直前のものと考えれば不思議ではありません。

このテロップは見た人も多く、録画もされていることから本当のことだと思われますが、今の常識からすれば非常に違和感を覚える報道だったと言えます。

体温が20℃

昭和天皇崩御と大喪の礼

1989年1月7日の昭和天皇崩御から48日後の2月24日、国の儀式として「大喪の礼」が執り行われました。世界各国から国家元首・使節・大使など164か国・27機関の700人に及ぶ人々が参列しました。

昭和天皇の霊柩を乗せた轜車が皇居から新宿御苑へ向かう沿道には、約20万人もの人々が葬列を見送り、当時の映像を見ても「一時代の終わり」を感じさせるものでした。

昭和天皇の棺

昭和天皇崩御の後、大喪の礼までは「大喪儀」という皇室の儀式が行われます。「拝訣の儀」で皇族が遺体に最後の別れを告げ、棺へ納められます。棺には内棺と外棺の2種類があり、「斂棺の儀」で銅製の外棺に内棺を納めると完全に密封され、二度と開けられることはありません。

つまり結果的にミイラになっている可能性はありますが、そもそもミイラとはそうする目的で手を加えているので、昭和天皇がミイラということはありません。

埋葬方法は土葬

昭和天皇の埋葬方法は土葬です。先ほど棺について触れたとおり遺体を棺に納めてから完全に密封されるので、火葬はできないのです。

少なくとも今の埋葬方法は明治天皇のころから続いており、「火葬は仏式の葬法だから、廃止すべき」という神道の主張を認めて土葬になりました。しかし歴代天皇の埋葬方法は一定しておらず、古代の土葬から703年の持統天皇の葬儀で初めて火葬が取り入れられて以降は、火葬と土葬が混在していました。

昭和天皇とミイラに関する噂と真実

昭和天皇の崩御に関することは概ね世間に知られているのですが、中には都市伝説のような話や、荒唐無稽な話までいろいろ取り沙汰されています。

ここからはそんなうわさ話や、昭和天皇崩御について上皇が語られたことを見ていきます。

昭和天皇とミイラに関する噂と真実

冷凍保存されていた?

お気づきの方がいると思いますが、1989年1月7日に昭和天皇が崩御され2月24日までの48日間、遺体を棺に納めたままでは腐敗しないのか疑問が生じます。それで生まれた噂話が「昭和天皇は冷凍保存されていた」というものです。

結論からいうと冷凍保存はされていません。皇室には殯(もがり)という葬送法があり、本葬を執り行うまでの期間、死者の住まい(殯宮)を建て、遺体の腐敗を通じて段階的に死を受け入れるというものです。

棺は密閉されているので腐敗を目にすることはないのですが、その間、死者の甦りを期待しつつ、一方で死を畏れ、荒ぶる魂にならないよう本葬まで24時間体制で儀式を続けます。

奥さんは生きている=嘘

昭和天皇の妃は良子(ながこ)様で、2000年6月16日崩御され「香淳皇后」と追号されています。つまり「昭和天皇の奥さんは生きている」という話は嘘です。

実は昭和天皇の崩御の前から認知症がすすみ、大喪の礼にも参加されず、その後もほとんど国民の目に触れることがなかったので、あまり理解されていないのかもしれません。

奥さんは生きている=嘘

墓の内部

昭和天皇のお墓は東京都八王子市長房町にある「武蔵陵墓地」の中に造営された「武藏野陵(むさしののみささぎ)」です。

武蔵陵墓地には昭和天皇の陵以外に、大正天皇陵・貞明皇后陵と、昭和天皇の皇后香淳皇后の陵が造営されています。

上円下方墳という形式の陵で、大手ゼネコンの大林組が工事を請け負いました。その内部についての情報は保安上の理由からか公開されていませんが、棺を納めてある一室があることだけは確かです。

墓の内部

天皇の崩御にまつわる上皇のお言葉

先ほど皇室の殯(もがり)について触れましたが、50日近くも続くこの儀式は皇族にとって負担が大きく、それについて今の上皇が2016年8月のビデオメッセージで触れています。

天皇の終焉に当たっては、重い殯の行事が連日ほぼ2カ月にわたって続き、その後、喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることはできないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります

宮内庁公式HPより引用

重いお言葉ですが、これを受け宮内庁は将来的な上皇の葬法は、土葬ではなく火葬にすると表明しました。

総括:昭和天皇はミイラではないが土葬されています

記事のポイントをまとめます。

昭和の頃一大事だった昭和天皇崩御

  • まじめな人だったと分かる昭和天皇のエピソード
  • 昭和天皇の死因はガンだったと公式発表されました
  • 人権無視のような天皇の体温20℃という崩御直前の情報はどうなのか
  • 天皇は土葬だからミイラというのは安直な考え

昭和天皇の崩御に関する噂について

  • 冷凍保存されたという噂は埋葬までの長い時間のせい
  • 皇后も2000年6月に崩御されているので「生きている」といのはデマ
  • 昭和天皇のお墓の詳細は非公開ですが見学は出来ます
  • かなり重い皇室のしきたりを感じさせる天皇のお言葉

今回は昭和天皇の崩御にまつわる話を説明しました。天皇の死は世の中に大きなインパクトがあることが昭和天皇の崩御で分かりましたが、皇室や予算のことをおもんばかって上皇が「皇室の葬儀の簡素化」に言及されました。世論がどうなっていくのか分かりませんが、皇室の葬儀の在り方も遠くないうちに話題になることでしょう。

 

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