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田中眞紀子は死去していない:経歴や功績、スキャンダル・現在など

今も昔も政治家とはクセのある人間が多い。

その癖が良い方向に行けば偉人として名を残し、悪い方向に行けば悪人として後世まで語り継がれてしまう。

今回紹介する田中眞紀子も政治家として名を馳せた女性の一人である。彼女も強烈な個性で国民を魅了し、また時には行き過ぎた言動で物議をかもし、その政治家人生は怒涛の勢いであった。

では政界を引退した田中眞紀子は今現在どうしているのか。死去したのか。そう疑問を持つ方も多いであろう。

結論から言うと、田中眞紀子は今も生存している。

しかし引退後の足取りが分からなくて気になっているという方向けに、今回は田中眞紀子の経歴をおさらいし、今現在の姿について解説していきたい。

田中眞紀子 死去

記事の内容

  • 田中眞紀子が死去!?経歴から見ていこう
  • 議員当選前の経歴【その生い立ち】
  • 議員になってからの経歴【功績とスキャンダル】
  • プライベート情報:結婚・子供について
  • 田中眞紀子を一躍有名にしたスキャンダル
    外務省幹部や鈴木宗男議員との確執
    秘書給与流用疑惑による議員辞職
    自民党離党から民主党入党
  • センス抜群!田中眞紀子がつけた政治家の【あだ名】
    小渕元首相に「パックン首相」
    亀井静香に「静かじゃない人」
    小池百合子に「大風呂敷おばさん」
    麻生太郎に「ひょっとこ総理」
    菅義偉に「安倍家の生ごみのバケツのふた」
  • 田中眞紀子の死去の真相:現在について
    死去の噂
  • 総括

田中眞紀子が死去!?経歴から見ていこう

ここでは田中眞紀子の生い立ちから議員を引退するまでの経歴を解説していく。

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議員当選前の経歴【その生い立ち】

田中眞紀子は、戦後最高の首相として名高い田中角栄の長女として新潟県で誕生した。

きょうだいは上に兄がいるが4歳の時に死去している。また腹違いのきょうだいが2人存在する。

幼少期を新潟で過ごした田中は東京で小中高と学校に通い、大学は早稲田大学の商学部へ進学した。大学在学時から結婚するまでは劇団に所属し、女優として活躍していた。女優業の傍らでは病弱だった母の代わりに、首相を務める父・角栄のファーストレディとしての役割を担うことが多かった。しかし政界入りする前の父・角栄との関係はあまり良好ではなくどちらかというと対立することが多かった。

若き頃の田中は大変化粧映えのする美人で、その風貌から活発さがうかがえる。

議員になってからの経歴【功績とスキャンダル】

1993年の第40回衆議院議員総選挙に田中は無所属で初めての立候補をする。同選挙区では父親の所属した自民党が桜井新・村山達雄・渡辺秀央の3人に公認を出しているという厳しい状態であった。しかし選挙区の定数5に対し、田中はトップで初当選した。

そして田中の快進撃はまだまだ続く。翌1994年6月に発足した村山内閣で、1年生議員ながら科学技術庁長官として初入閣し世間を賑わせた。その後も田中は自由な立場からの歯に衣着せぬ奔放な発言で高い人気を誇る。この入閣時の田中の功績としては、教育実習にボランティア活動を義務化させるというものがある。

さらに1996年の第41回衆議院議員総選挙では新潟5区から自民党公認で立候補を遂げる。その当時現職の星野行男らを破り、田中は再選を果たした。そして2001年の小泉首相誕生に際しては総裁選での応援を自ら買って出るなど大きく寄与したことから、外務大臣に就任した。

その後は外務大臣更迭やそれによる議員辞職。そして議員再選からの民主党入りを経て、文部科学委員長や外務委員長、文部科学大臣など数々の功績を残す一方で、スキャンダルを起こし地元の支援者からも徐々に見限られていったことにより、2012年の第46回衆議院議員総選挙では落選した。そして今現在まで事実上議員引退となっている。

プライベート情報:結婚・子供について

経歴の他に田中眞紀子のプライベート情報についても解説をしておこう。

田中は同じく衆議院議員を務めた田中直紀(旧姓:鈴木)と結婚しており、二人の間には男一人女二人の子をもうけている。

この結婚に際しても、父・角栄からの反対を押し切って結婚を勧めたというエピソードがある。

また、過去の発言において「夫とは愛し合っておりますから大丈夫です」といったものも見られる。このことから夫婦仲は良好なのであろう。

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※夫婦そろって民主党入りした際の田中眞紀子と夫の直紀

田中眞紀子を一躍有名にしたスキャンダル

田中眞紀子が引き起こしたスキャンダルは大きく分けて3つある。

またこの3つの事件が田中にとって大きな転機となっていることは間違いないであろう。

外務省幹部や鈴木宗男議員との確執

この一連の事件はインパクトが大きく、数十年経った今でも記憶にある人は多いであろう。

当時の衆議院議院運営委員長で、外務省に強い影響力を持っていた鈴木宗男との軋轢や外務省を「伏魔殿」と呼んだことが波紋を呼ぶ。なお、伏魔殿とは伝奇小説に出てくる建物のことを言い、この発言では「悪事や陰謀をたくらむ場所」ということで使われた。この一件により田中眞紀子は小泉政権において外相を更迭されることとなった。

その際は田中のみが更迭されたのではなく「喧嘩両成敗」としてかかわった議員が同じく責任を問われる形で表向きは丸く収まった風に終結した。しかし当時の田中の人気は大変高く、この更迭により小泉政権の内閣支持率は30%低下と急落した。

この時の世間は比較的田中に同情的であった。

秘書給与流用疑惑による議員辞職

秘書の給与を横領したとの詐欺罪で告発され、自民党での党員資格を停止された。そして田中は議員辞職に追い込まれた。

しかしこの事件は「流用の証拠がない」「犯罪性がない」と判断されたことにより、嫌疑なしの不起訴処分となった。

ここで国民の田中に対する不信感が少しづつ募り始めていく。

自民党離党から民主党入党

それまで人気を博し政界において破竹の勢いで進撃を続けてきた田中であったが、秘書給与詐欺疑惑により一度は議員辞職を経験する。しかしながら田中の人気が衰えることは無く、次の選挙で議員として復帰を果たす。しかし所属したのはかつて父の代から支持者を集めてきた自民党ではなく民主党。しかしここでも存在感を放ち、鳩山由紀夫内閣では文部科学大臣を務めた。

この民主党入りの際は夫である田中直紀も同時に入党した。

昔からあった父やその支援者との確執がここにきて一気に爆発したのであろう。

センス抜群!田中眞紀子がつけた政治家の【あだ名】

田中眞紀子を紹介するにあたり、欠かすことのできないものが「彼女のつけたあだ名」である。奔放な発言から飛び出した多くのあだ名は国民に「確かに!」と納得できるような的を射たものばかりで、不謹慎ながらついついクスっと笑ってしまうものが多い。その中でも特に有名なものを今回は紹介したい。

小渕元首相に「パックン首相」

これまで処理できなかった法案を内閣総理大臣小渕恵三(小渕内閣)が、次々呑み込んで法案成立させてしまった様子を指して「パックン首相」と呼んだ。

亀井静香に「静かじゃない人」

「うるさ型」と揶揄されることが多い亀井静香に対して「静かじゃない静香さん」と呼び、当時のメディアを賑わせた発言である。

小池百合子に「大風呂敷おばさん」

当時、環境大臣で風呂敷の有効活用を提言した小池に対してこのような発言をしている。

麻生太郎に「ひょっとこ総理」

麻生元首相の口が曲がっている容姿からひょっとこ総理というあだ名をつけた。

菅義偉に「安倍家の生ごみのバケツのふた」

「菅さんは暗い」という発言とともに聞かれたこちらのたとえ。菅首相が自民総裁選に出馬した際に「安倍政権の改ざんや責任逃れの後始末をする政権」ということからこのキャッチフレーズが生まれたようである。

 

その他にも小渕恵三を「凡人」、梶山静六を「軍人」(旧陸軍航空士官学校出身だったため)、小泉純一郎を「変人」と名付け、その年に流行語大賞を受賞したり、「安倍の総理総裁就任は課長がいきなり代表取締役社長になるようなものだ」と揶揄したり、的確ではあるが暴言に近い発言をすることが多かった。

しかし政界に不満を持つ国民にはそんな彼女の歯に衣着せ発言がウケていた時期もあった。

田中眞紀子の死去の真相:現在について

ここからは田中眞紀子の現在について追っていく。

死去の噂

「田中眞紀子 死去」や「田中眞紀子 死亡」というキーワードで検索がされているが、田中眞紀子は2021年現在の時点で健在である。政界を事実上引退した後は自身が父親から受け継いだ会社の経営に携わっている。

その会社は「越後交通株式会社」という新潟県に本社を置く会社で、旅客運送業をメインとする企業である。この企業で田中眞紀子は現在取締役会長という役職についている。

またこの会長職以外にも、時折メディアや街頭に姿を見せることがあるようだ。

政界を離れてからも相変わらず「眞紀子節」は健在のようである。

特に久米宏とは早稲田大学の同級生であり劇団の同期であったことから親交が深く、かつて久米宏がMCを務めた「報道ステーション」では出演することが多かった。その交流はいまだに続いているのであろう。

総括:田中眞紀子の死去は嘘

今回は死去したと噂される田中眞紀子についてその華麗なる経歴をおさらいした後、現在の彼女について解説してきた。

死亡説がささやかれる田中ではあるが、2021年現在今もなお健在であることがわかった。

議員時代はテレビで見ない日がないと言っても過言ではないくらいに彼女の存在感は大きなものであった。それゆえに引退してぱったりと姿を見せなくなったことや年齢も相まって死亡説がささやかれたのであろう。

しかし時折メディアに姿を見せる際は、おなじみの眞紀子節を炸裂させるなど変わらぬ活躍を見せている。そんな田中も今年で御年77歳。政界に戻るには年齢を重ねすぎている。

しかし現在の政治家は田中が政界で活躍していたころに比べると覇気がなく、どの政治家も同じに感じてしまう。そんな今の政界に彼女が戻ってきて、様々な問題にメスを入れてくれたらきっと面白いだろうと感じてしまう。

低迷する政界において、引退してなおも国民が興味を持つ政治家は現代において稀有な存在である。そのような影響力の大きい彼女がこれからも元気で多方面で活躍し、さらなる眞紀子節を炸裂させてくれると少しは日本の政界に刺激を与えてくれるであろう。

 

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