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飛び杼とは産業革命に大貢献した発明品:仕組み・生みの親ジョンケイ等

18世紀のイギリスから始まった産業革命は、世界史の中でも重要な出来事のひとつだ。

産業革命はイギリスにとどまらず、今日に至るまで世界中のさまざまなところに影響を与えている。

この産業革命で大きな発展を遂げた産業のひとつが織物業だ。

新しい発明がいくつも誕生したが、その最初に数えられるのがジョン・ケイの飛び杼(とびひ)である。

飛び杼

飛び杼が発明されたことにより、幅の広い布が折れるようになり、完成までのスピードもアップした。また、それまで助手が必要だった作業もひとりでできるようになった。

布を織る上で多くのメリットがあった飛び杼だが、その反面でいくつかの問題点もあった。

この記事ではジョン・ケイが発明した飛び杼がどのようなものだったのか詳しく解説している。産業革命や飛び杼に興味がある人は、ぜひ参考にしてほしい。

記事の内容

  • 18世紀に発明された飛び杼とは
  • 読み方は「とびひ」
  • 「杼」という漢字の意味
  • 飛び杼をわかりやすく解説
  • 仕組みはシンプルで効率的
  • 使い方の動画
  • 英語では shuttle
  • 開発者のジョンケイについて
  • 飛び杼を作った理由
  • ジョン・ケイのイラスト画像
  • 世界史には同名の人物もいる
  • 生じた問題点
  • 飛び杼が歴史に与えた影響
  • なぜ産業革命において飛び杼が重要なのか
  • 社会の変化
  • どうして産業革命はイギリスで始まった?
  • 産業革命の前後
  • 綿織物から世界の対立へ
  • 飛び杼は歴史上で重要な役割を果たす
  • 総括

18世紀に発明された飛び杼とは

ジョン・ケイが発明した自動織機の飛び杼

ジョン・ケイが発明した自動織機の飛び杼

ジョン・ケイは1704年生まれのイギリスの発明家で、飛び杼を発明したことで知られている。飛び杼は産業革命に大いに貢献して、紡績技術を著しく発展させた。

飛び杼の発明によって紡績能力が格段に上昇し、それまでの2倍の速さで布を完成させていったため、供給が間に合わなくなった綿糸が不足してしまうほどだった。

その後、紡績能力の改善が重ねられ、1760年代のハーグリーヴズのジェニー紡績機の発明により、一気に産業革命が本格化することになる。

読み方は「とびひ」

飛び杼は「とびひ」と読む。

布を織る際に使った杼(ひ)が飛んでいるように見えたため、飛び杼と呼ばれるようになった。

「杼」という漢字の意味

飛び杼の「杼(ひ)」という漢字はなかなか目にすることがないかもしれない。

音読みでは「チョ・ジョ」、訓読みでは「ひ・とち・どんぐり」と読む。

意味としては機織りでよこ糸を通す道具、またはどんぐりやくぬぎの実、とちを表す。

杼を使った言葉として「杼投げ(ひなげ)」がある。これは織機で杼を走行させてたて糸の間によこ糸を通す操作のことだ。

現在、機織りを使う機会がほぼないため、この漢字を見かけることもあまりなくなってしまった。

飛び杼をわかりやすく解説

布を織る際は、たて糸とよこ糸を組み合わせて作っていく。

このとき、たて糸を上糸と下糸に分けて交差させてすき間を作り、糸を横に渡す必要がある。

このときに使うよこ糸の先につけるのが杼(ひ)という道具だ。

手織機の場合、杼を投げ込んでくぐらせ、そのよこ糸を筬(おさ)で押しつける。

今度は上糸と下糸を入れ替えて、反対側からよこ糸をくぐらせる。

これを何度も繰り返すことで布を織っていた。

杼を通すために助手が必要で、幅の広い布は織ることができなかった。

その問題を解決したのが飛び杼である。

仕組みはシンプルで効率的

ジョン・ケイが発明した飛び杼は、バネのようなものを取り付けることで、ヒモを引くと杼が弾かれて飛び出し、また戻ってくるようになっていた。

これにより杼を投げ込む動作をしなくてもよくなり、空いた手を筬内に使うことができるようになった。

そのため、織布の効率が上がり、熟練した織工でなくても均一な布が織れるようになった。

使い方の動画

言葉だけで説明しても、なかなかピンとこないかもしれない。

そこで実際にジョン・ケイが開発した手織機の動画を紹介する。

ジョン・ケイの飛び杼はその後も改良が続けられ、1750年代に広く普及することになる。

こちらの動画でもジョン・ケイの飛び杼についての説明がある。

英語では shuttle

杼のことを英語では「シャトル(shuttle)」と言う。

ジョン・ケイが発明したのはローラー付きの杼で「ホイールドシャトル(wheeled shuttle)」と呼ばれた。

ただ、動作する様子が飛ぶようだったため、「fly-shuttle」、さらに後には「flying shuttle」と呼ばれるようになり、それに合わせて日本でも「飛び杼」と呼ばれるようになった。

開発者のジョンケイについて

ジョン・ケイはイギリスの発明家で、飛び杼を発明したことで有名になった。

手織機の筬を製造する親方の下に見習いとして入ったが、1カ月後に仕事をマスターしたといって辞めてしまう。

その後、金属製の筬を設計してイングランド中で売れるほど大人気になった。

さらに1733年には自身最大の発明とも言えるローラー付きの杼の特許を取得する。

これにより布を織る時間が大幅に短縮され、幅が広い織物を織れるようになる。

従来、幅が広い布を織るときは杼をキャッチする助手が必要だったが、ジョン・ケイの発明した飛び杼により1人で幅広の織機が使えるようになった。

開発者のジョンケイについて

飛び杼を作った理由

織物業や繊維産業は、産業革命において大きな発展を遂げた。

ジョン・ケイの飛び杼はその最初に数えられている。ジョン・ケイは発明家ということもあり、さまざまな特許を取得しようとしていた。

飛び杼もその中のひとつで1733年に特許を取得している。織物の効率を上げる発明だったが、織工たちからは不評だった。

失業を恐れた彼らの反発から逃れるため、ジョン・ケイはリーズの町に引っ越すことになる。

ジョン・ケイのイラスト画像

ジョン・ケイのイラスト画像

John Kay, Inventor of the Fly Shuttle A.D. 1753" by Ford Madox Brown, a mural at Manchester Town Hall.

マンチェスターの壁画にジョン・ケイが描かれている。

右側で毛布にくるまれているのがジョン・ケイだ。

左側の窓から職を失って不満を持っている織工が入ってこようとしてるため、ジョン・ケイは家から逃げようとしている。

世界史には同名の人物もいる

ジョン・ケイという名前は同名の有名人が多いため、混同されることが多い。

飛び杼を発明したジョン・ケイは、ランカシャーで紡績機を発明したジョン・ケイと混同されやすい。

世界史には同名の人物もいる

こちらのジョン・ケイは時計職人で、リチャード・アークライトと共に水力紡績機を発明したことで知られている。

飛び杼が発明されたのは、この紡績機の約30年ほど前である。

生じた問題点

ジョン・ケイの開発した飛び杼により、誰でも簡単に、しかも時間をかけずに布を織れるようになった。

しかし、これによりいくつかの問題も生じた。

1つ目が手織職人からの反対だ。

もともと布は熟練の職人でないと織ることが困難だった。しかし、飛び杼により、誰でも布が織れるようになると、職人たちの仕事が減ってしまう。

さらにこれまで2人で作っていた布が1人で作れるようになったため、仕事がなくなる人が出てくる。

そのため、ジョン・ケイの飛び杼はランカシャーの職工たちからの反抗に遭うことになった。

2つ目は糸の生産性だ。

飛び杼により、織ることの生産性は格段に向上したものの、糸の生産性はそこまで上がっていなかった。

そのため、紡績業者にとっても多大な影響が予想された。

飛び杼の登場で、糸の需要が高まったため、それに応えるために従来よりも低コストで早く糸を紡ぐことができるジェニー紡績機が普及していくことになった。

飛び杼が歴史に与えた影響

1730年代のイギリスでは、人々は羊を放牧したり、家で布を織ったりして生活していた。

それまでは織機と呼ばれる道具で布を織っていたのだが、飛び杼が登場したことにより、ひとりでも大きな布を織ることができるようになった。

この1つの発明がさまざまなところに連鎖的に影響を及ぼしていくことになる。

なぜ産業革命において飛び杼が重要なのか

飛び杼により、布を織るスピードが格段に早くなったため、原材料である糸がすぐに足りなくなってしまった。そのため、今度は糸を作るスピードの向上が求められた。

こうして作られたのがハーグリーブスのジェニー紡績機だった。

さらに動力を人力から水力に変えることで、手回しではなく、水力を使って糸を紡ぐことができるようになった。

水力紡績機が普及していくと、今度は蒸気機関で布を織る力織機が登場することになる。

動力が水力や蒸気機関に変わると、次は水力に必要な運河の都市計画、また蒸気機関に必要な鉄・石炭の輸送手段など、さまざまなものが必要になってくる。

ひとつの発明が社会全体に大きな影響を及ぼしていくことがよくわかるだろう。

なぜ産業革命において飛び杼が重要なのか

社会の変化

飛び杼をきっかけとして、産業革命ではさまざまな部分で変化が起きた。

機械化が進んだことにより、これまでの家内制手工業が工場制機械工業に変わる。

その結果、今までは家で働いていた人たちが雇用者の下で労働者として働くことになる。

こうして産業の規模が大きくなるにつれて、ますます多くの労働者が必要となったため、公教育が始まるようになった。

さらに人を雇って資本を拡大していく資本家階級と、そこに雇われて働く労働者階級の分離が進んでいくことになる。

どうして産業革命はイギリスで始まった?

産業革命は18世紀末のイギリスで始まった。

ではどうして隣国のフランスやドイツなどではなく、イギリスで始まったのだろうか。

この疑問に対して、明確で決定的な解答はない。

識者によって答えは変わってくるだろう。

業種から考えると、産業革命は繊維業界から始まった。

今取り上げているジョン・ケイの「飛び杼」、ジェームス・ハーグリーブスの「ジェニー紡績機」、リチャード・アークライトの「水力紡績機、サミュエル・クロンプトンの「ミュール紡績機」などが代表的な発明品として知られている。

当時のイギリスでは、農民でも茶のような贅沢品を消費していた。豊かになった労働者たちは、教育にもお金をかけるようになり、より高い賃金を求めるようになった。

すると賃金が高いため、労働者を雇うよりも、機械を使ったほうが利益が出せるようになっていた。

その結果、労働力をどんどん機械に変えていくことになり、機械の発展にもつながったのだ。

歴史上、産業革命を起こすのに十分な科学的知識を持っていた古代ギリシャやローマが産業革命を起こせなかった理由もここにある。

古代ギリシャやローマは奴隷制のため、労働力をほぼ無料で使えていた。

そのため、わざわざ労働力を機械化しようという気にならなかったのだ。

産業革命の前後

産業革命は世界史の中でも、もっとも重要な出来事のひとつだ。

産業革命は18世紀のイギリスではじまり、瞬く間にヨーロッパ全土、北アメリカへと広がっていった。

産業革命が起こる前は、水や風、人力を使っていた。

この頃の家庭ベースの小さなビジネスは「家内工業」と呼ばれていた。

生産できる量は限られていたし、品物は地元で消費されることがほとんどだった。

しかし18世紀半ばになると、新しい手法が開発・導入され、イギリスからヨーロッパ全土に広がっていく。

この変化の過程で、「工業化」が進み、町や市に専用の工場を開発させて、工業都市と呼ばれるようになった。

町や市に専用の工場が集約され、工業都市と呼ばれるようになる。

こうした変化は19世紀を通じて続き、たくさんの発明家たちが次々と発展に貢献していった。

綿織物から世界の対立へ

飛び杼によって綿織物の生産力が向上したことで社会に大きな変化をもたらした。

こうした変化はイギリスだけにとどまらず、そこからヨーロッパ各国、アメリカにも広がっていく。

1870年ゴロになると、工業化に成功したヨーロッパ各国が海外市場での覇権をめぐって対立することが増えてくる。

これにより複雑な同盟や対立関係が形成され、ついには後の駄藍一次世界大戦の遠因にまでなってしまう。

技術革新が起こると、さまざまなイノベーションが起こり、人々の生活が変わっていく。

そうして生産方式が変わると、人間の役割分担も変わってくる。

時代の変化の波を上手く利用して成功する人々と、落ちこぼれてしまう人が出てしまうのは現代社会に通ずるところがあるかもしれない。

綿織物から世界の対立へ

総括:飛び杼は歴史上で重要な役割を果たす

記事のポイントをまとめておこう。

飛び杼により布の生産力が向上した

  • 「飛び杼」の読み方は「とびひ」
  • 飛び杼の使い方と仕組み

開発者のジョンケイについて

  • ジョンケイが飛び杼を作った理由
  • ジョンケイの画像

飛び杼によって起こった問題

  • 手織職人たちから大きな反対を受ける
  • 糸の生産性が追いついていない

飛び杼が世界に与えた影響

  • 飛び杼から始まる産業革命
  • 産業革命からの社会の変化
  • 産業革命がイギリスで起こった理由
  • 飛び杼の影響力は世界へ

ジョン・ケイによって発明された飛び杼は、布の生産力を一気に上げることになった。

その結果、布に必要な糸の生産力も向上していき、さらには水力・蒸気機関といった人力ではない動力が使われることになる。

つまり、世界中の生活スタイルまでも変えていくことになったのだ。

ただし、ジョン・ケイの発明により、職を失った人も少なくない。

ジョン・ケイは暴徒に襲われたとも言い伝えられており、さらには結局いつ死んだのかも明らかになっていない。

 

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