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千家典子さまの今:離婚危機の噂や新居、結婚や披露宴など

千家典子さまは高円宮憲仁親王の第2子女である。

千家典子と聞いてもピンとこなくても、典子女王といえば分かるだろう。

典子女王は結婚を機に皇室を離脱されて、千家典子さまとなっている。

千家典子さまはどんな相手と結婚したのか、現在はどうされているのか可能な限り調べてみた。

千家典子

記事の内容

  • 千家典子さまとは?
  • 千家典子さまは美人姉妹
  • 千家典子さまの結婚相手は?
  • 千家典子さまと千家国麿さんの馴れ初めは?
  • 千家典子さまと千家国麿さんの不思議な縁
  • 千家典子さま結婚式は出雲大社で
  • 結婚式での千家典子さまのお姿
  • 千家典子さまの披露宴は島根で
  • 千家典さまが披露宴で着たドレスは?
  • 千家典子さま結婚後は新居で生活
  • ほぼ別居状態?
  • 千家典子さまは離婚危機なのか?
  • 千家典子さまは出産しているのか
  • 千家典子さまの今現在の状況は?
  • 総括

千家典子さまとは?

  • 名前:千家典子(せんげのりこ)
  • 生年月日:1988年7月22日(32歳)
  • 皇籍離脱前の身位:女王
  • 皇籍離脱前の継承:殿下
  • お印:蘭
  • 父親:高円宮憲仁親王
  • 母親:高円宮妃久子

千家典子さまとは

1988年7月22日に高円宮憲仁親王の第2子女として生まれた。姉に承子(つぐこ)女王、妹に守谷絢子(もりやあやこ)さまがいる。千家典子さまは、現天皇陛下の再従妹にあたる。典子という名前は高円宮憲仁親王が決め、お印である蘭は久子妃が決めたという。14歳のときに父親の高円宮憲仁親王が亡くなった。

松濤幼稚園から学習院初等科へ進学し、中学高校は共に学習院女子中等科、女子高等科へ進学された。学習院大学文学部心理学科へ入学し、学士(心理学)の学位を取得した。

千家典子さまは美人姉妹

近頃では秋篠宮親王のご息女である、眞子内親王、佳子内親王が「かわいい」と一躍話題になったが、千家典子さまも負けず劣らず美人だ。高円宮家は女ばかりの3人姉妹で、千家典子さまには姉と妹がおられるのだが、美人姉妹として有名だ。

姉の承子女王は凛としたエキゾチックな美しさがあり、数少ない成年女性皇族として公務に励んでおられる。妹の守屋絢子さまは、どちらかというと可愛らしい印象を受ける。

父親の高円宮憲仁親王もダンディな方であったし、母親の高円宮妃久子妃殿下も美人だ。そんな両親のDNAを受け継いだ高円宮家3姉妹も、もれなく美人なのである。

千家典子さまは美人姉妹

千家典子さまの結婚相手は?

千家典子さまの結婚相手

千家典子さまは2014年に出雲大社の権宮司である、千家国麿(せんげくにまろ)さんと結婚している。結婚当時、千家典子さま25歳、千家国麿さんは40歳と、15歳差の年の差婚だった。

千家典子さまが学習院大学文学部心理学科を卒業したのは2011年だ。大学を卒業してわずか3年でのご結婚となった。2020年度の女性の平均初婚年齢は29.6歳なので、いまどきの女性としては早い結婚だろう。

それでも千家典子さまは「国麿さんには大変長い間お待たせをしてしまったので、申し訳なかったかしらと思っております」と婚約会見で語っている。

もっとも、千家典子さまが千家国麿さんと出会ったのは10代の頃で、出会ってから7年目経ってのご結婚だった。千家典子さまが「待たせた」といっているのなら、出会ってからかなり早い段階で結婚を意識したということだろう。

厚生労働省:平均初婚年齢

厚生労働省:平均初婚年齢

▼千家典子様と国麿様の婚約内定会見の様子を全編でご覧ください

千家典子さまと千家国麿さんの馴れ初めは?

千家典子さまと千家国麿さんは、家族ぐるみの付き合いから交際をスタートさせたそうだ。

2001年9月に高円宮ご一家は、出雲大社境内で出土した「心御柱(しんのみはしら)」を見学するために出雲大社を訪れた。これがきっかけとなり、千家家と高円宮家の家族ぐるみの付き合いが始まった。だが、このとき千家国麿さんは京都で宮司としての経験を積んでいたため、千家典子さまとは会っていないそうだ。

千家典子さまと千家国麿さんが初めて顔を合わせたのは、2007年4月のことだ。高円宮久子妃妃殿下と出雲大社に参拝した際に始めてお二人は顔を合わせ、そこから交際に発展したのだとか。

千家典子さまと千家国麿

千家典子さまが成人したことで会う回数が増え、ゆっくり結婚に向かって話が進んだのだそう。「家族ぐるみの付き合いのなかで、自然と結婚という話が出た」と千家典子さまは語っている。

家族ぐるみの付き合いだったとはいえ、出会った2007年当時の千家典子さまはまだ19歳だ。いつ交際に発展したかまでは分からないが、成人して会う回数が増えたと言っているので、その頃には交際していたのだろう。

かなり年の差のあるお二人で、千家典子さまはまだ20歳だったことを考えると、相当ビビッとくるものがあったのだろうか。

千家典子さまと千家国麿さんの不思議な縁

皇室の先祖は天照大神の子孫だとされている。その天照大神の子孫に日本の国を譲ったのが、出雲大社に祭られている大国主神命(おおくにぬしのみこと)なのだ。

そして千家家の先祖は天照大神の次男、天穂日命(あめのほひのみこと)だとされている。千家典子さまも千家国麿さんも、元をたどれば天照大神にたどり着くという、不思議な縁を持っているのだ。

千家国麿さんも婚約会見で、「2千年を超える時を経て、今日を迎えたことに深いご縁を感じている」と語っている。神様をご先祖に持つ人でないと、思いつかない言葉である。

千家典子さまと千家国麿さんの不思議な縁

千家典子さま結婚式は出雲大社で

千家典子さまの結婚式は、2014年10月5日に千家国麿さんが権宮司を勤める出雲大社で行われた。皇族であった千家典子さまの結婚までの道のりは、一般人とはまったく違う。

2014年5月27日に婚約内定記者会見が行われ、7月4日に結納にあたる納采の儀が行われた。10月2日には結婚を皇室の先祖と神々に報告するため、賢所皇霊殿神殿(かしこどころこうれいでんしんでん)に謁するの儀が行われる。

さらに10月5日に千家家の死者が典子女王を迎えに行く入第の儀が行われ、その後に出雲大社で結婚式が執り行われた。

千家典子さま結婚式は出雲大社

婚約内定から結婚式まで4ヵ月半というのは、一般的に考えてもそれほど珍しい期間ではない。だが賢所皇霊殿神殿に謁する儀など、皇族ならではの儀式をこなしての結婚となった。

女性皇族が皇室を抜ける際は一時金が渡されることになるが、千家典子さんに渡された一時金は1億675万円だった。ちなみに妹の守屋絢子さまも1億675万円、2005年に結婚した天皇陛下の妹である黒田清子さんの時には、1億5,250万円が支払われた。

結婚式での千家典子さまのお姿

結婚式で千家典子さまは、2つのお衣装を見せてくれた。出雲大社参道では、黄色地に紅の向鸚鵡丸文と萌黄の植物文を散らした袿に紫色の袴というお姿であったが、拝殿内では赤い小袿と紫色の長袴という衣装に着替えられた。

参道を歩くときには一般的な長さの袴を着用し、拝殿内であれば長袴をひきずって歩いても汚れないという配慮から長袴に着替えたのだろう。

なおこの赤い小袿は、典子女王の祖母である三笠宮妃百合子さまが義母である貞明皇后から受け継いだものである。

長袴は貞明皇后から受け継いだ生地で、この結婚のために新たに作られたものだと宮内庁から発表された。貞明皇后は大正天皇の皇后である。この貞明皇后から受け継いだ小桂と袴は、千家典子さまの妹である絢子女王も結婚式で着用した。

夫となる千家国麿さんは黒い衣冠、母親の高円宮久子妃殿下は黒留袖、姉の承子女王、妹の絢子女王は振袖というお姿であった。

結婚式での千家典子さまのお姿

千家典子さまの披露宴は島根で

千家典子さまの披露宴は、嫁ぎ先である島根県で行われた。10月6日に島根県松江市の『ホテル一畑』で地元関係や新郎新婦の友人らに向けて披露宴を行った。千家典子さまの学習院時代の友人も島根まで駆けつけたという。

招待客は島根県の溝口善兵衛知事(当時)などの来賓を含め280人だったそうだ。一般的な規模の披露宴で皇室の女王の披露宴としては、言い方は悪いが「こじんまりとした」といったイメージを受ける。

世界のロイヤルファミリーの豪華な披露宴と比べると、実に日本の皇室らしいとも言えるのではないか。

同月8日には東京のホテルニューオータニで、皇太子・皇太子妃や内閣総理大臣を含む三権の長などを招いて『晩餐会』が行われた。この『晩餐会』をもって、千家典子さまの一連の結婚に関する儀が終わったことになる。

千家典子さまの披露宴は島根

千家典さまが披露宴で着たドレスは?

千家典子さまと千家国麿さんの披露宴は、宮家側の意向で会場内にプレスは入れなかった。だが参列者らによると、千家典子さまは和服から白いドレスにお色直しされたそうだ。ドレスはクリーム色にも見える白色で、上品な絹地で仕立てられていたという。

この絹地は納采の儀の際に千家家から贈られたもので、それを仕立ててドレスにしたということだ。繊細な意匠のレースがあしらわれた清楚なドレスで、千家典子さまの美しさを引き立てるドレスだった。頭にはティアラ、首には真珠のネックレスを身に付けていた。

千家典子さまは、東京のホテルニューオータニで行われた『晩餐会』でも、この絹地の白いドレスを着用したとのことだ。夫側から送られた生地で仕立てたドレスをまとっての披露宴とはなんともロマンチックで、日本古来の風習を思わせる。

千家典さまが披露宴で着たドレス

千家典子さま結婚後は新居で生活

千家典子さまと千家国麿さんご夫婦は、結婚後出雲大社に隣接した土地に立派な一軒家を建てて新婚生活をスタートさせた。

民間に嫁いで一般市民になったとはいえ、千家典子さまは元皇族です。立派な新居を立ててお迎えするのは、当然ともいえるでしょう。

新居で甘い新婚生活を送っているかと思いきや、どうも心配な噂が聞こえてきた。

千家典子さま結婚後は新居で生活

ほぼ別居状態?

ほぼ別居状態

千家典子さまと千家国麿さんはすでに、ほぼ別居状態なのではないか?というものだ。この噂は結婚後わりとすぐに週刊誌やネットニュースで報じられるようになった。理由には次のようなものがある。

  • 夜になっても新居に明かりがついていない
  • 新居には人が住んでいるような形跡がない
  • 地元で千家典子さまを見かけない
  • 千家典子さまは頻繁に東京に帰っている

これらの噂が取り上げられる度に「別居説」「不仲説」が報じられてきた。

地元の人でさえ姿を見ないというのが本当なら、さすがに「別居説」を報じられても仕方がないだろう。一般市民の生活に慣れていないとはいえ、家から一歩も出ずに生活するのは無理がある。

出雲大社へ参拝に行ったことがある人は分かるだろうが、出雲大社は自然溢れる場所にある。東京育ちの千家典子さまとしては、慣れない田舎での暮らしが耐えられなかったのではないか?といった声も聞こえる。

宮内庁関係者も「千家典子さまは東京で過ごす時間が長い」ことを認めている。だがこれは、母親の高円宮久子妃殿下を助けるためで、他の降嫁した女性皇族の方もしていることだという。

確かに結婚したからといって、実家に帰ってはいけないということはない。ましてや千家典子さまは元皇族だ。東京へ行く理由も、元皇族としての仕事などもあるのかもしれない。

実際に別居状態なのかは分からないが、千家典子さまが頻繁に島根と東京を行き来していることは真実のようだ。

千家典子さまは離婚危機なのか?

千家典子さまと千家国麿さんの離婚危機は、別居が報じられるたびに取り上げられます。

そもそも、別居しているのが本当なら離婚危機といわれるのも仕方ない。皇室典範でも天皇と皇后以外の皇族は離婚できると認められているので、千家典子さまが決意すれば離婚そのものは可能だ。

だが簡単に「なら離婚しましょう」とならない理由もある。

まず、千家典子さまはすでに皇籍を離れて一般人になっているので、離婚しても皇籍には戻れない。そして夫である千家国麿さんが権宮司を勤める出雲大社は「縁結びの神様」を祭る日本一の縁結びの聖地として有名だ。

縁結びの神様を祭る神社の跡継ぎが「離婚」となれば、あまりイメージはよくないだろう。しかも、元皇族の女王をお迎えしておいての離婚となれば、イメージ悪化は免れない。

そういった理由もあり、例え「別居状態」でも「離婚危機」だったとしても、離婚という選択肢は取らないのではないだろうか。

千家典子さまは離婚危機なのか

千家典子さまは出産しているのか

千家典子さまと千家国麿さんが結婚して、今年(2021年)で約7年になりますが、出産したという情報はありません。千家国麿さんは代々出雲国造(いずものくにみやつこ)を務める千家家の長男だ。いずれは出雲大社の第85代目の宮司となるだろう。

結婚当時は40歳だった千家国麿さんも、47歳になる。跡継ぎを考えるならば、そろそろおめでたいニュースが聞こえてきてもよさそうなものだ。

千家国麿さんは出雲大社の権宮司として、全国を飛び回る生活をしており、なかなか家に帰れないこともあるのだそう。子供が欲しいと考えていても、なかなか二人でゆっくりする時間がないのは事実のようだ。

千家典子さまは出産しているのか

千家典子さまの今現在の状況は?

千家典子さまは今現在どうしておられるのだろうか。「長らく島根に帰っていない」とか「東京に住まいを購入したらしい」とかいろいろな噂はありましたが、実際のところは分かりません。

千家典子さまが頻繁に東京を訪れていたとしても、不仲とは限らない。東京への里帰りは、寂しい思いをさせている妻への夫なりの優しさとも考えられる。夫婦の内情など、当人たちにしか分からないものだ。

別居説とか離婚説などまったくの出鱈目で、夫婦仲良く出雲で暮らしているのかもしれない。

千家典子さまの今現在の状況

総括:千家典子さまについて

元皇族である千家典子さまは、出雲大社の権宮司である千家国麿さん嫁いだ。結婚当初から不仲説や別居説などがささやかれたが、実際のところは不明だ。

皇族として暮らしてきた女性が一般の家庭に嫁ぐのは並大抵の覚悟が必要で、一般人には考えられない苦労があるだろう。

それでも千家典子さまは千家国麿さんと一生を共にすることを選んだのだ。お二人には幸せになって欲しいものである。

千家典子さまについて

 

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