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世の中には、さまざまな「世界三大」があるが、世界三大財閥といえば、どこが思い浮かぶだろうか。
そして、世界三大財閥は、どのくらいの資産を保有しているのだろうか。
詳しく解説していこう。
記事の内容
- 世界三大財閥とは
資産はどのくらいある? - そもそも財閥とは何か?
- ロックフェラー家
- ロスチャイルド家
- モルガン家
- アメリカにある世界三大財閥以外の財閥
- 日本四大財閥について
三井財閥
住友財閥
三菱財閥
安田財閥 - 総括
世界三大財閥とは:資産はどのくらいある?
世界三大財閥と言われているのは、下記3家である。
- ロックフェラー家
- ロスチャイルド家
- モルガン家
日本人にはあまり馴染みのない名前かもしれない。
ロックフェラー家は数千兆円、ロスチャイルドはロックフェラー家の数倍、モルガン家は数百兆円の資産があると言われている。
しかし、これらはあくまでも推測に過ぎない。
彼らの事業は規模が大きすぎるため、総資産を調べるだけでも、相当な費用がかかると言われている。
そもそも財閥とは何か?
財閥という言葉は聞いたことや見たことはあるものの、詳しくは知らない人がほとんどだろう。
歴史の教科書で日本にあった三井・三菱・住友・安田といった四大財閥が解体されたことは、多くの人が知っているかもしれない。
財閥の定義はさまざまなで、時代によっても変わってしまうのだが、簡単に説明すると「お金持ちの一族が経営する企業グループ」のような意味合いだ。
さまざまな業種を一族で行っているというのが、財閥の特徴である。
かつて日本にあった財閥は、日本経済を動かし、国家権力とも密接な関係にあった。そのため、戦争に対しても多大な影響があったと考えられ、第二次世界大戦後にGHQによって、解体されてしまったのだ。
しかし、そうはいっても企業自体は残り続け、今でも日本の経済に大きな影響を与え続けている。これらのグループ会社は、安定性や待遇の良さから、就職市場においても人気が高い。
「財閥(ざいばつ)」という語は1900年前後に使われ始めた造語で、当初は同郷の富豪を指したようだが、明治末期には同郷に限らず一般に富豪の一族を意味するようになった。(Wikipediaからの引用)
ロックフェラー家について
ロックフェラー財閥は、アメリカ最大の利益集団の1つである。
ロックフェラー財閥の始祖であるジョン・D・ロックフェラーは、1862年に、わずか4000ドルを手に石油産業に身を投じた。その後、スタンダード石油トラストを構築し、アメリカ全土における原油の生産・輸送・半場一を支配し、独占体制を確立した。
1911年にシャーマン法によって、スタンダード石油トラストは分割されるが、その後もスタンダード系石油資本として、石油市場での立場を強化させていく。
その後、ジョン・D・ロックフェラーはアメリカ国内だけにとどまらず、国際政治にも発言力が必要と考え、アメリカ最大の政策立案期間である外交問題評議会を創立する。
1930年にはモルガン系の銀行だったチェース・ナショナル銀行を支配下に収めて、後にマンハッタン銀行と合併し、チェース・マンハッタン銀行と改称した。それ以降、チェース・マンハッタン銀行を主力銀行として巨大化していく。
航空宇宙、自動車、石油化学、通信、コンピューター、空運と多国籍な企業に対して手を広げていき、世界中に影響力を強めた。
また、ロックフェラー家の人々は長生きであることが多い。
始祖であるジョン・D・ロックフェラーは97歳、ジョン・ロックフェラー2世は86歳、デイヴィッド・ロックフェラーは101歳まで生きている。
ロスチャイルド家について
ロスチャイルド家は、ユダヤの国際金融財閥である。
18世紀にフランクフルトで古銭商を始めたマイヤー・アムシェルを始祖とする。
マイヤー・アムシェルは両替から手形割引、対外借款などへと事業を広げていき、ヨーロッパ最大の金融財閥となる。
ロスチャイルド家の家紋には5本の矢が描かれている。この5本の矢は、ロスチャイルド家の歴史において重要なマイヤー・アムシェルの5人の息子を表している。
マイヤー・アムシェルは5人の息子をフランクフルト、ロンドン、パリ、ウィーン、ナポリに配し、当時としてはめずらしい国境を越えた体制を築き、事業を拡大していった。
5人の優秀な息子たちの中でも、特に大成功を収めたのが三男のネイサンだ。
イギリスのロンドンにいたネイサンは、ナポレオン最後の戦争であるワーテルロー決戦の情報をいち早くに入手する。それにより、イギリス公債が値上がりすると考えたネイサンは、大量に公債を売り出して、大暴落させるという裏工作を行った。
こういった裏工作のせいで、ロスチャイルド家には陰謀論の噂が多くある。歴史を裏から操ってきたのはロスチャイルド家であると信じている人も多い。
実際のところ、ロスチャイルド家は国際戦争に対しても大金を投じている。たとえば、日露戦争では日本に対して、大量のお金を渡していた。
そのため、ロスチャイルド家が歴史を裏で操っているというのは、まったく根も葉もないデタラメというわけでもない。
モルガン家について
モルガン家は、アメリカ最大の利益集団の1つである。
モルガン財閥の始祖は、モルガン商会を設立したジョン・ピアポント・モルガンである。もともとは農民から始まったモルガン家であるが、その後、コーヒー店、旅館、不動産、保険業と事業を広げていき、大きな財をなしていく。
ジョン・ピアポント・モルガンは、銀行家として、南北戦争後のアメリカ資本主義に近代的な銀行システムを構築していく。さらに南北戦争終結とともに、アメリカ全土で鉄道建設が注目を浴びるようになると、資金を融資して、主要鉄道会社を支配するようになる。
ジョン・ピアポントの後を継いだモルガン2世は、父親ほどの事業欲はなかったが、それでも公益事業、鉄道、鉄鋼、電機、放送、自動車といった事業に対してて融資して、影響力を拡大させていった。
しかし、金融変革の中で大衆市場をつかめないまま、モルガン金融機関の成長は著しく減速してしまう。100年以上にわたって、独占的な金融集団として存在していたモルガン家だったが、チェース・マンハッタン銀行の吸収合併されることになり、没落が決定的なものになる。
モルガン財閥は徐々に縮小してしまうのだが、それでもモルガンの名前がついた会社は現在でも多数存在している。
アメリカにある世界三大財閥以外の財閥と日本四大財閥
アメリカには、世界三大財閥であるロックフェラー財閥とモルガン財閥があるが、それ以外にも莫大な資産を持つ財閥がいくつもある。
その1つがメロン財閥だ。
メロン財閥はロックフェラー財閥に次ぐ、アメリカ三大財閥の1つに数えられる。
メロン財閥の始祖は、スコットランドやアイルランドに地盤を持っていたトーマス・メロンである。
彼は弁護士として財をなし、その後、ピッツバーグ周辺の不動産投資で大成功を収める。さらには南北戦争時に石炭産業に投資して、林業、銀行業へと事業を広げていく。
トーマス・メロンの息子であるアンドリュー・W・メロンはアルミニウム産業へと投資を始め、さらにはT・メロン・アンド・サンズを主力銀行とするアルミニウム製造の独占会社を誕生させた。
さらにはロックフェラー家のスタンダード石油に対抗して、石油産業にも力を入れていく。
アメリカには他にもデュポン財閥、ヴァンダービルド財閥、ハリマン財閥、カーネギー財閥などがある。
日本四大財閥について
第二次世界大戦後、GHQによって解体されてしまったが、かつて日本にも財閥があった。
財閥自体は表舞台から姿を消してしまったが、今でもその名を冠する製品やサービスを利用することが多い。
日本四大財閥とは、以下の4つである。
- 三井財閥
- 住友財閥
- 三菱財閥
- 安田財閥
それぞれどのように財をなしていったのか簡単にまとめていく。
三井財閥について
三井財閥の始まりは江戸時代にさかのぼる。
1673年、三井高利によって開かれた呉服店「越後屋三井八郎右衛門」(越後屋)が、その起源である。
当時、商品は後払い(つけ)で支払うことが一般的であった。しかし、越後屋は現金掛け値なしという現金払いを採用して、江戸と京都で高い人気を博した。
越後屋はお客に対して、現金即日払いをさせる代わりに、商品の価格を安くしたため、爆発的な人気が出た。そこで得た利益を元に、江戸や京都、大阪といった主要都市で両替商を営み、莫大な資金を築いていく。
その後、本業の呉服店の業績が下がってくると、銀行業へと事業を移していった。そうして1867年にできた三井銀行を足がかりに、巨大な三井財閥を形成していくことになる。
住友財閥について
住友財閥の起源は、戦国時代までさかのぼる。
当時、京都で薬屋や出版業を営んでいた住友正友が創業者にあたる。元禄年間には鉱山業を主軸に富豪となっていき、そこから住友化学、住友金属鉱山、住友電気工業、住友大阪セメントと事業を広げ、大企業となる。
銅山の経営が何度も危機に陥るが、それを乗り越え、1895年には銀行業に進出する。そうしてできた住友銀行を中核にして、住友生命保険、住友信託など金融面での力を伸ばし、日本を代表する財閥へと成長していく。
三菱財閥について
三菱財閥は、たった20年の間に岩崎弥太郎によって築かれた財閥である。弥太郎は最下層に属する武士の出身だったが、類い希なる商才と先見性を武器に、次々とビジネスを成功させた。
その後、明治政府から保護を受けて海運業で確固たる地位を築いていく。さらには鉱山経営、石油販売など、多角的に事業を広げていき、軍需工業でも圧倒的な成功を収める。
財閥解体によって分割されたものの、1950年代中期から相互合併などを行い、徐々に元の体制へと戻っていった。
安田財閥について
安田財閥は、明治維新後に両替商によって巨万の富を築いた安田善次郎によって創立された。善治郎は、明治維新の後に政府が発行した太政官札の取引で、大きな財をなした。
その実績を政府に買われ、1876年には第三国立銀行の設立に携わることになる。
他の3つの財閥が、さまざまな事業を経て金融業に進出していったのに対し、安田財閥は初めからお金にまつわる両替商を営んでいたことが大きな違いである。
総括:世界三大財閥について
国際NGOオックスファムによると、2017年に創造された富のうち、82%が富裕層上位1%に集中していると報告されている。
大富豪と庶民の富の差は開く一方である。
中でも世界三大財閥は、莫大な富を所有しており、さらにその財を増やし続けている。
こうした貧富の差は今後もまだまだ続いていくに違いないだろう。
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