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つまらない人生だった?メカニズムと人生を謳歌出来ない理由

つまらない人生でも、面白い人生でも、人生はその人のもの。「面白い人生の方が良いだろう」というのは、面白い人生を楽しんでいる側の一方的な考えで、その人自身がつまらない人生で良いのであれば、周りがとやかくいう事ではない。

しかし、はた目にはやはり、人生を楽しんでいる方が、何だか得をしているように見えるものである。

ところで「つまらない人生だった」と思っている人はなぜ、つまらない人生「だった」と結論が出ているのだろうか。

つまらない人生だった

国立青少年教育振興機構から文部科学省に提出された資料によると、日本の若者の自己肯定感は、諸外国に比べ格段に低くなっている。

参照:平成27年(独)国立青少年教育振興機構 調査対象:高1~3生 siryou4.pdf (kantei.go.jp)

子供のころからの自己肯定感の低さが、人生を謳歌出来ない一因になっているのかも知れない。

そこで今回は「つまらない」を掘り下げてみる事で、「つまらない人生だった」と思う気持ちに迫り、今からでも楽しみを見つけて人生を謳歌する方法を考えてみたいと思う。

記事の内容

  • 「つまらない」のメカニズム
  • 世代別の「つまらない」理由
    10代の「つまらない」理由
    20代の「つまらない」理由
    30代の「つまらない」理由
    40代の「つまらない」理由
  • 楽しみを見つける方法
  • 総括

つまらない人生だった?「つまらない」のメカニズム

「つまらない」が「退屈」と同じ意味だとする。

「退屈」の辞書的な意味は次の通りだ。

  • するべき事がなく時間を持て余していて、その事を嫌だと思っている状態
  • 実行中の事柄について関心を失い、飽きている状態、またその状態の時に起きる感情

そして、心理学者シンシア・フィッシャーの定義によると「退屈」とは、下記のようになるらしい。

「つまらない」のメカニズム

現在行われている活動に対して興味を全く持てず、集中出来ずにいる事を不愉快に思う心の動きである。

Wikipediaより

やるべき事がなく時間を持て余しており、実行中の何かについて「飽きたなぁ」と思っていても、その事を特別「嫌だ」と思わなければ、退屈という感情は起きない、という事になる。

問題になるのは、時間を持て余していたり、「飽きたなぁ」と思っている状態を「嫌だ」と思っている、という事である。「嫌だ」と思っているのであれば、そこから脱却する方法を考えれば良い、という事になる。

しかし、その「つまらない」と思う原因によっては、脱却する方法が見つけにくいものもある。また、世代によって、どのような事につまらないと思うのかは違ってくると思う。

世代別「つまらない」理由

ここでは世代別に「どのような時につまらないと思うのか」を挙げてみたいと思う。

世代ごとに特有の「つまらない事」があるのではないだろうか。

世代別「つまらない」理由

10代の「つまらない」理由

10代はやはり学校生活に占める割合が多いようである。

「勉強がつまらない」事が大半であるが、「彼氏でもいれば楽しくなるだろうに…」という、解消する方法の見当はついており、「勉強はつまらないが部活は楽しい」「勉強はつまらないがバイトは楽しい」「勉強はつまらないが、友達とのやりとりは楽しい」など、代わりに楽しめる事を見つける事で、つまらなさと共存しているようである。

10代の学校生活についてのつまらなさは、中学や高校が一般に3年単位の区切りなので、一過性のものと捉えられているようである。卒業すれば新しい世界が開けるかもしれないという希望もあり、他に楽しい事を見つけ、今をやり過ごそうという特徴が見て取れる。

余談であるが、10代は親との関係が今一つうまくいかない事が家庭生活のつまらなさとして存在し、その分余計に友達やバイト先などで良好な関係を築くことで解消しようとする向きもある。

10代は友達が、つまらなさの解消のカギになっているようである。

10代の「つまらない」理由

20代の「つまらない」理由

20代は、「仕事」と「恋愛」「結婚」の占める割合が高いものになってくる。

最近は何かと情報過多であり、就職活動自体も「就職出来たところで、その先どうなる事やら」と思いながら、それでもどこかに就職先を決めないと、何となく形にならないような気がして、半ば仕方なく、しかし必死に就職活動を行っていると思われる。

その結果、めでたく就職先が決まっても、「やった!就職先ではバリバリ頑張るぞ!」というように、100%喜べる人というのはあまりいないように思う。

20代の「つまらない」理由

それよりも、学生時代に謳歌していた長い休みがなくなる事や、今お付き合いしている人とデートをする時間が減る事など、好きな事に割ける時間が少なくなり、面白くない未来が待っているように思う傾向が強いのではないだろうか。この時点ですでに、就職後の「つまらない」が育つ土壌が出来ている、と言える。

実際に仕事を始めてみると、思い描いていた仕事内容とのギャップ、これはあって当たり前の部分であるとは思うが、就職活動を頑張った分「頑張った結果がこれか」と、より強く「つまらなさ」を感じてしまうのではないだろうか。

「つまらないのに休みは少ない」「つまらないのにデートの回数も減って別れる事になってしまった」「けれど、あんなに頑張って就職を決めて、親も安心していると思うのに、すぐには仕事を辞められない」「仮に辞めたところで次は見つかるのだろうか」

仕事は、これからの長い人生の収入の基盤になる為、つまらなさから起こる悩みも深刻なものになる事が多い。時間的な制約もある為、10代の頃のように友達との関係で解消する事もなかなか難しい。

仕事の中で面白さを見つけ、職場の中で心許せる友達を作り…というのは、すでに「つまらない」と思ってしまっている職場の中では難しいと言える。

その中で20代も後半になってくるとだんだん「結婚」へのレールが見えてくるようになり、つまらないと思っている現状に、更なる負担がのしかかってくることになる。

子供の頃から結婚を夢見ていた人には、明るい世界への道筋になるかも知れないが、特に男性にとっては、自分一人の生活も面白いと思えていない所に、家族の生活への覚悟を持たなければならなくなる、というのはさぞ重圧であろう。

見えない未来の責任を負う、というのはかなりのプレッシャーであり、お付き合いしている人への好意とは別に、特に男性は「結婚」自体に躊躇する、という事は充分理解できる。「つまらなさ」に加え、「苦しさ」も加わる20代後半、と言えるであろう。

つまらなさの解消のカギは、20代ではなかなか見つからないかもしれない。

30代の「つまらない」理由

30代は、結婚をしているかいないかで、「つまらなさ」の内容が全く違うものになっている。

未婚の場合は、結婚している周りの人たちが楽しく幸せな生活をしているように見えて、自分の今の生活が「つまらない」もののように思えてくるようである。

「婚活」なるものが盛んな昨今であるが、就職活動よりさらにシビアな基準にならざるを得ず、思うように婚活が進まない事もあるだろうし、結婚はしたいが婚活には消極的な人もいるだろう。

30代の「つまらない」理由

親のプレッシャーもいよいよ厳しくなり、消極的な子供の代わりに親同士が代わりに婚活を行うパターンもあるそうだ。

「結婚をしなければならないのか」「結婚していない自分はダメなのか」

この葛藤は深刻なものであり、もはや「つまらない」レベルではないように感じる。深刻さが紛れるほど仕事に打ち込めていれば良いのかもしれないが、このような葛藤の中で、今の仕事にもそれほどやりがいを感じていなければ、仕事に打ち込む事も難しいかもしれない。

結婚をしていればしているで、未婚の人達が金銭的にも時間的にも自由を手にしているように思えて「つまらない」と思うようである。

30代は、結婚が大きなテーマになっており「つまらない」状態を解消するためには重大な決断をしなければならず、その勇気を持ちたくても持てないジレンマと、つまらない状態で混沌としていると思われる。

40代の「つまらない」理由

実は40代が最も「つまらない」の定義に当てはまっている世代かも知れない。

仕事は「目新しい事はあまりなく、毎日同じことを繰り返していてつまらない。」

家庭は「子育てが少し落ち着いて自分の時間も出来てはくるが、若い頃のような感受性がなくなってきており、何を見てもそれほど興味深いものに感じない。」

40代の「つまらない」理由

体力的にも衰えを感じ始める年代であり、更年期にさしかかる人もいるだろう。時間を作ることは出来ても、心身の状態がついていかない、という人が多いかもしれない。

日中時間のある主婦でも、家でぼーっとテレビを見て終わってしまったり、土日休みを家でゴロゴロして終わってしまうサラリーマンもいるだろう。毎日は退屈だが、退屈から脱却する気力と体力に欠けている。

しかしここで一念発起しなければ、同じような50代、60代が待っているだけなのである。

参考:Yahoo!知恵袋 

つまらない人生だった、で終わらない:楽しみを見つける方法

つまらない人生だった、で終わらない:楽しみを見つける方法

「つまらないままでこのままずっと過ごしたくはない」と思っている人は、楽しみを見つける心の準備は出来ている。「でも、時間がない…」「でも、毎日仕事で疲れてしまって…」のように「でも」がつく人は、楽しみを見つける事は難しい。

楽しみは、勝手に見つかるものではなく、「楽しめる何かを見つけたい!」という積極的な気持ちと、物事を楽しむことが出来る心の柔らかさが必要である。自身が思っている「つまらなさの沼」の深さと同じくらいの深さで楽しみを追求しなければ、つまらなさからの脱却は難しいであろう。

しかし、すべては自分次第である。「つまらなさの沼」を作っているのも自分なのだから、自分の気持ち次第で、いかようにもつまらない状況は変える事ができるのだ。

何事も「つまらない」としか思えない人は、楽しむ心を自ら閉ざしてしまってはいないだろうか。今の世の中はあらゆる情報が溢れかえっている。つまらなさの沼から脱却したいと思っている人であれば、きっと興味ある情報を見つけ出せるであろう。

雑誌に出ていたお店に、おしゃれをして食事に行ってみる。子供の頃熱中していたプラモデルをもう一度作ってみる。全国の銘酒を取り寄せ、つまみも全国の美味しいものを取り寄せて感想をSNSにアップしてみる。

何でもいいのだ。日頃、つまらなさの原因だと自分が思っている事から離れた何かを始めてみる事だ。そしてそれを楽しむ努力をする事だ。

いろいろな「何か」を楽しむ努力をするうちに、自然と楽しめるようになっていくに違いない。

総括:つまらない人生だった?

「楽しみを見つける方法」を前述したが、自分の人生は自分だけのものであるから、「こうあるべき」というのは実際はないのである。

生きてきた軌跡が、そのままその人の人生であるわけで、楽しくてもつまらなくてもその人自身が納得しているのであれば正解、なのだ。

「せっかく生きているんだから楽しくなければならない」と思う事が苦しい時もあるだろう。つまらなさを日常にしている事が自然であれば、何も問題はない。

ただ、「つまらないままでは嫌だ」と自分の心が訴えた時に、人生を楽しむチャンスが訪れている事は間違いない。

スポーツの後の爽快感、作業をやり遂げた達成感、素晴らしい映画を観た後の感動…様々な感情を堪能できるように人間は出来ている。

「つまらない」だけの気持ちで、仕事や家庭に埋もれて人生を終えるのは、少しもったいないような気もするが、さてどうだろうか。

つまらない人生だった

 

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