世界には数多の人種や民族がおり、遺伝子的な繋がりや文化・言語などによる分類がなされています。そんな多種多様な民族の中に「エベンキ族(エヴェンキ族とも)」というツングース系の民族がいます。
実はこのエベンキ族ですが、ここ数年日本とは外交面や経済面で良好とはいえない関係である「大韓民国(韓国)」深いかかわりがある民族なのです。そのエベンキ族について韓国を含めた周辺国の歴史を交えながら解説していきます。
記事の内容
- エベンキ族とは?どのような民族か
北方系新モンゴロイドのアルタイ系ツングース派 - エベンキ族の由来
- 文化的な特徴
- 特徴的な顔
- 現在の暮らし
- エベンキ族と韓国との関りとは?
- 古代朝鮮半島の歴史
- 高句麗王朝と朝鮮三国時代
- 半島統一とエベンキ族の王朝成立
- さらなる不幸?モンゴルによる蹂躙
- エベンキ族は汚い?
- エベンキ族と韓国の反応
- エベンキ族と韓国に関する科学的検証
- エベンキ族に関する様々な逸話
- エベンキ族を語るとき避けられない韓国
エベンキ族とは?どのような民族か
近年「人種」という概念はその差別的な意味合いもあってか、純粋な学術研究以外ではかつてほどは語られなくなってきました。とはいえ単に遺伝子分類上だけではなく、言語や文化で区分できる事実に変わりはありません。
では「エベンキ族」とはどのような民族なのか、その由来を含めて解説していきます。
エベンキ族の由来
エベンキ族は形態人類学上の「モンゴロイド(黄色人種)」に含まれる民族です。日本人もモンゴロイドなのですが、人類学上は日本人とエベンキ族は別の系統になります。
エベンキ族は「北方系新モンゴロイド」の「アルタイ系」「ツングース派」という分類になります。分かりやすく言うと、アジア北部の環境に適した進化をとげたモンゴロイドのうち、アルタイ諸語という言語グループのなかの「ツングース語」という言語を用いる民族です。
エベンキ族は長らく極寒の森林で狩猟を生業としてきた民族で、現在では狩猟以外にもトナカイの放牧、牛馬の飼育、一部では農耕などもおこなっています。
文化的な特徴
もともとのエベンキ族は父系氏族を基礎とする絶対的な男性社会でした。伝統的に宗教はシャーマニズムであり、長年にわたり老シャーマンから新しいシャーマンへ教養を伝える儀式が毎年4月に行われています。
またシャーニズムとともにトナカイに関する呪術儀式や自然崇拝も知られており、それに関連したタブーも多く存在しています。一例をあげると「狩猟の失敗につながる」として女性の狩猟具への接触を厳しく禁じるなどがあります。
特徴的な顔
エベンキ族の顔の特徴はモンゴル系のそれと概ね一致しています。
寒い地域での生活に適した進化をしており、顔の凹凸が少なくなることで表面積を減らし体温の低下を防ぐという変化です。
また一重瞼が多く、切れ長の細い目も大きな特徴と言えます。全体的に短頭であり、寒冷地で凍った肉などを噛み砕くため顎と頬の骨が発達しています。
現在の暮らし
エベンキ族の現在の人口は6万~7万人といわれており、ロシアのクラスノヤルスク地方(かつてエベンキ自治管区が存在した)と、中国内モンゴル自治区や黒竜江省にそのほとんどが暮らしています。
もとは定住地を持たない遊牧民でしたが、あるていど定住化がすすんでいます。しかし狩りなどで定住地を離れるときには、伝統的な天幕式の住居で生活を送るのです。ただ現在において伝統を守り続けるのは難しいようで、生活様式や宗教などはロシアの影響が強く、ロシア風の食生活やロシア正教を信仰するなど、エベンキ族のロシア化はかなり進んでいます。
エベンキ族と韓国との関りとは?
冒頭でエベンキ族は韓国と関りがあると書きましたが、現在はロシアや中国にほとんどのエベンキ族が暮らしているのにどうして韓国なのでしょか。
この謎を解き明かすには、朝鮮半島の歴史からふり返らなければなりません。そこを調べていくと倭人、すなわち現在の日本人も関係していることが分かります。
古代朝鮮半島の歴史
紀元前の朝鮮半島にはそれほど多くの人が住んでおらず、小部族が点在していたと考えられています。遺伝子調査の結果、当時朝鮮半島に居住していた人種は、南部には「倭人」が居住していたことが分かっています。北部には「沃沮(よくそ)」「濊(わい)」「扶余(ふよ)」などの民族が定住したと言われています。
言われているというのも、朝鮮半島北部のことについては、中国の歴史書である「史記」や「漢書」「後漢書」「三国志(魏志)」などの記述をもとにしたものであり、不明な点も多いのです。それらの書物によれば紀元前12世紀ころから紀元前194年まで「箕子朝鮮」という、中国の殷に出自をもつ箕子が建国した国家が半島北部に存在したとされております。
この箕子朝鮮が滅びた後は漢王朝の「楽浪郡」をはじめとする漢四郡の支配や、魏による「帯方郡」の支配の時代が西暦313年まで続きました。
高句麗王朝と朝鮮三国時代
紀元前1世紀の半ば、「扶余」から発展したとされる集団が、現在の中国遼寧省で勢力を持ち始め、漢の東北辺境部で抗争を繰り返しました。
後漢の時代になると、漢の光武帝により「高句麗王」として認められます(それ以前にも王を名乗っていたが、漢王位を簒奪した王莽により「候」へ格下げされていた)。
高句麗成立から少しのち、朝鮮半島東部には「新羅」という国、南部には「百済」という国が建国されています。これらのうち百済は倭国(日本)と繋がりが強い国で、もともと倭国とは交流があったうえ、後に高句麗との戦争で圧迫が強まると太子を倭国へ人質として送り軍事的援助を求めるようになります。
また同時期には新羅とも同盟を結び高句麗へ対抗していました。
この三国による争いは7世紀まで続きますが、その中で最終的勝者となる新羅へ北方からある民族が流入してきます。
その民族とはエベンキ族と言われており、一説には4世紀には新羅がエベンキ族による国家となっていたといいますが、これには異説も多く後の統一国家「高麗」がエベンキ族の国家ではないかと思われます。
半島統一とエベンキ族の王朝成立
朝鮮半島の三国時代は中国を統一した唐朝の力によって変化が訪れます。もとは三国の中で一番の弱小国だった新羅が5世紀ころから力を付けてきたうえに、唐朝の前の隋の時代から中国と国境を接していた高句麗は中国側からの圧迫が絶えず、朝鮮半島のパワーバランスは大きく変化していきました。
660年唐と新羅の連合軍によって百済が滅亡し、高句麗や倭国の援助を当てにした百済遺臣の復興の目論見も、663年の白村江の戦いの敗戦によって失敗に終わります。この敗戦によって倭国の朝鮮半島における権益も失われました。
そから5年後の668年には、やはり唐と新羅の連合軍によって高句麗は平壌を攻め落とされ滅亡し、その後の唐の国内情勢などの事情により新羅が朝鮮半島の統一国家となりました。
新羅による朝鮮半島統一から2世紀ほど後のすでに新羅の王統も途絶えたころ、エベンキ族の系統といわれる王健(太祖)によって「高麗」が建国され、いよいよエベンキ族の統一朝鮮が確立したのです。
さらなる不幸?モンゴルによる蹂躙
13世紀モンゴル帝国の出現が朝鮮半島にさらなる不幸をもたらします。
1218年のモンゴル帝国による高麗侵攻から30年ほど抵抗するものの、ついにはモンゴルに降伏するのですが、この間に高麗男性の約85%が命を落としたと考えられています。
つまり高麗男性いない中、エベンキだけではなく北方系の人種と急激に混血が進んだと考えられています。
エベンキ族は汚い?
エベンキ族を語るうえで必ずでる話で「汚い」「不潔」ということがあります。これにはエベンキ族の一部である人たちの生活風習が原因で、中国人からワイ族(不潔な民族)と言われたという由来があります。
具体的には、糞や尿がある上でも平気で寝そべり、アザラシやトナカイなどの肉や内臓など生で食べる様子が、当時の中国人には野蛮で不潔な民族だと映ったのでしょう。ワイ族を表す漢字が「穢(けがれ)」だったことからも容易に想像がつきます。
エベンキ族と韓国の反応
先ほどの「汚い民族」というイメージからか、韓国人のルーツがエベンキ族(ワイ族)だという話はタブー視されており、韓国でこれに関する書き込みをネットにすると「10分で削除される」という話があります。
またよく言われることですが、整形手術をしていない韓国人にはエベンキ族と同じような特徴の顔がよく見られたり、文化的にも共通点が多かったりと、同一視されがちな要素が多いが故にヒステリックな反応が多いと考えられます。
エベンキ族と韓国に関する科学的検証
近年は遺伝子情報の解析によって民族の背景がある程度分かるようになっていて、現在の韓国人のDNAの特徴からいろいろな事実が判明しています。
韓国人の遺伝子情報を調べると女系遺伝子は縄文人と同じ特徴が見られるものの、男系遺伝子ではそれとは全く別の遺伝子特徴があり、歴史上考えられるエベンキ族やモンゴル系民族との混血の結果だと考えられます。
さらに遺伝子配列を調べると他国では見られないような均一的な配列が特徴です。それが何を意味するかというと、極度の近臣相姦の連続でしか考えられない遺伝子配列なのです。
長期間中華王朝の朝貢国家だった朝鮮では、中国へ貢物として美しい女性が送られていたのですが、残り物の血が濃くなっていったことが容易に想像できます。
エベンキ族に関する様々な逸話
ここまで解説してきたとおり、エベンキ族を語るとき韓国の話は避けて通ることができません。そのためエベンキ族にまつわる話をすると必ず韓国の影がつきまとうのです。
それは承知の上、エベンキ族に関する周辺情報に触れてみたいと思います。
トーテムポール
トーテムポールといえばアメリカのインディアンのそれが有名です。これと似たような風習がエベンキ族と朝鮮には存在し、「ソッテ」「チャンスン」と言われています。
この両者には大きな違いがあり、インディアンのものには宗教的な意味合いはなく、あくまで家系の出自や紋章を表す標識的なものなのですが、エベンキ族や朝鮮でのものはシャーマニズムに由来する魔よけの意味合いがあります。
アリランという歌
朝鮮民謡のなかで最も有名なものが「アリラン」です。この中で歌われている「アリラン」とは伝説上の峠の名前で、この単語の由来は不明であるとされています。
しかし、このアリランという単語ですが実はエベンキ族で使われている言葉で、「迎える」を表しています。この歌のアリランの語源とは断定できませんが、他にもエベンキ族の単語と韓国語の単語には共通点が見られることから、関係性が高いと思われます。
アイヌとの関係
アイヌ民族は北海道や樺太・千島列島に住んでいた先住民です。日露戦争終結に伴い住んでいた場所により日本人またはロシア人に編入されました。もともとアイヌは狩猟民族だったこともあり、なんとなくエベンキ族との共通点がありそうですが、遺伝子分析の結果で全く別の系統であることが分かっています。
縄文人の血を色濃く残すアイヌだけではなく、日本人や沖縄人に多く見られる「ハプログループD1a2a」という染色体は、朝鮮人や中国人(漢民族)にはまず見られないタイプなのです。
エベンキ族と韓国に関するデマとは?
さきほど朝鮮半島における「近親相姦」のことに触れましたが、これに似たような話があり「朝鮮半島では女性が嫁ぐ際、妊娠できるかどうか試す風習があった」という「試し腹」の噂です。
現在でも男尊女卑の風潮が強いとされる朝鮮半島ですが、この「試し腹」の話はさすがにデマのようで、これを確認できる文献はありません。また本当らしく「日本の植民地になり朝鮮総督府から”試し腹”が禁止された」という話もありますが、これも確認できない話なのです。
総括:エベンキ族を語るとき避けられない韓国
エベンキ族を調べていくと、どうしても「韓国」との関りが避けられません。
噂レベルの事もあったり、学術的に証明されていることもあったりと何とも複雑な内容ですが、当事者たる韓国人が頑なに否定している無いようなので、ある意味デリケートな話なのです。
とはいえ歴史を捻じ曲げるような行為は出来ませんし、事実は事実としてしっかりと理解する努力は必要なのだと、このエベンキ族問題で改めて認識しました。
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