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狐憑きとは「動物が憑く」という俗信:根本的な原因はいまだ謎

狐憑き

狐憑き(きつねつき)という言葉を聞いたことがあるだろうか。きつねの霊が憑き(憑依して)、異常行動などが見られる現象・症状のことであるが、日本では昔から、狐、蛇、犬(犬神)、猿などの動物が憑依するという信仰が、各地で見られたようだ。

文化的には、江戸時代以降の「村(村落共同体)」の秩序、そして各「家」の維持の意識に端を発し、その村の秩序に反して富を持つに至った家々の排除・排斥のために、その家系は動物に憑かれている(憑き物筋)と言って、その家との婚姻を避けるなどの文化があった。

「狐憑き」とは、現象・症状のことを指すが、「動物が憑く」という俗信は、社会文化的な背景がある。

本記事においては、「憑き物筋」について文化的・信仰的背景を読み解くとともに、現象や症状についての「狐憑き」は、各論文などを参考にしつつ、科学的な見地から考察を行っていきたいと思う。

記事の内容

  • 狐憑きとは
  • 日本における狐憑き(憑き物筋)の文化的背景
  • 稲荷信仰と油揚げ
  • 狐憑き(憑依)と新興宗教
  • 明治時代の「狐憑き」の症状は多重人格、幻聴の主張
  • 精神病としての「狐憑き」
    抗NMDA受容体抗体脳炎
    てんかん
  • 総括

狐憑きとは

本章では、日本における狐憑きを代表とする「憑き物の俗信」の背景を探りたい。加えて、現代医学の基礎が導入された明治時代の専門家は、狐憑きの症状をどう見ていたかを探ってみたい。

本章においては、狐憑きの歴史的・科学的な論文を参照したいと思い、探したところ、以下の文献・論文を引用・参照していくこととする。

日本における狐憑き(憑き物筋)の文化的背景

日本における「憑き物筋」の文化的背景は、農村を中心とした村落共同体の文化が色濃く反映されていることが、背景として存在する。

日本における狐憑き(憑き物筋)の文化的背景

村落共同体の文化とは、具体的には、家(家系)への固執、村の秩序維持への固執であり、それが中心と据えられた文化のことである。

憑きもの筋と近代」の論文で、民俗学者による先行研究の中で「憑き物筋」の定義として重要だとしているのが、下記の内容である。

 「いわゆる憑きもの筋は決して新しい家ではなかった。 いうなれば第二期くらいの入村者であって、 かつ次第に前者を凌駕してきた家」 であり、 近世の閉鎖的郷村社会において、 最初期に入村して秩序を築き上げていたもののあいだに後から入り込み、「ついに前者を凌駕するに至ったものに対する、 前者からの嫉み、 妬み、 ないしは猜疑がもたらした」

また、「憑きもの筋と近代」の論文では、近世でも都市部には「憑き物筋」に関する信仰や習慣はほとんど見られず、農村を中心とした地域に見られるとしている。

「憑き物筋」は、 山陰・四国・九州北部・中部・北関東が多数地帯であり、 九州南部や東北は少数地帯となっている。 ここで注目したいのは、 京阪を中心とした近畿地方にほとんど 「憑き物筋」 がみられない点である。

このように、「家系に動物が憑く」という理由で排斥しようとする口実に使われていた。現代でも、人口が少ない農村で問題になる「村八分問題」と、似たような構造であることが分かる。

稲荷信仰と油揚げ

憑き物筋と関係が深いのは、稲荷信仰である。

稲荷信仰と油揚げ

なぜなら、公的な位置づけにいた稲荷神が、中世以降のさまざまな宗教の流入から、個人的な祈願のための宗教へと変貌し、公的な位置づけが後退したために、稲荷の狐と、「憑き物」が結びついていくのである。

憑きもの筋と近代」の論文では、下記のように述べられている。

狐という動物霊と結びつけられた稲荷伸は、公的領域から家産のための個人祈願という私的領域の信仰へと移行していった。

稲荷信仰は、村落共同体において、「稲」という漢字を含んでいるように穀物神、農業神で、村落の統合を果たす公的な神であった。

狐は神の使いであるとか、野にいる狐ではなく白く神々しい狐だとか言われているものの、なぜ稲荷と狐が結びつけらかは、どの文献でも定かではない。

しかし、家産などの私的な祈願を行う対象へと変化したことによって、狐が憑くという信仰に対して、お稲荷さんに油揚げを備えると、憑き物が去るということも、まことしやかに行われていたのである。

狐憑き(憑依)と新興宗教

明治以降、新興宗教が勃興したが、そこには狐憑き(憑依)が密接に関係していた。具体的には、憑依そのものを宗教的な要素としてとらえる宗教が多く存在した。

北翔大学の「日本における憑依研究の一側面」という論文では、下記のように述べられている。

憑依状態が宗教儀礼の中にみられる宗教もある。例えば円応教の「修法」と呼ばれる儀礼もその一つである。この儀礼では宗教的指導者層が憑依ないし変性意識状態となってお告げを告知する

このように、明治以降の新興宗教の中には、意図的に憑依というものを信仰的に使用していたことが分かる。

明治時代の「狐憑き」の症状は多重人格、幻聴の主張

明治時代において、狐憑きと診断された症状は、多重人格や幻聴が中心である。

狐憑き研究史」という論文に、明治時代に「狐憑き」と診断された際の症状について記載がある。原文のままだと少々読みにくいため、わかりやすく変更すると、以下のようになる。

人狐憑きと診断された人は、「狐としての人格転換があった」とされている。狐のような動作、他の狐が見えるという主張もあったようだ。加えて、狐として話しているときと、人間として話しているときがあったという。

このように、明治時代の専門家の診断では、狐憑きの症状は上記のとおり多重人格や幻聴であった。

ちなみに「人狐」とは、中国地方に伝わる憑き物であり、キツネというより小型のテンに似た動物の霊であると言われている。

また、男女の別も記載されていたが、女性の方が多かった。

精神病としての「狐憑き」

前章では、過去の狐憑きにまつわる文化的背景と、明治における狐憑きの症状を俯瞰して考察した。本章では、現代的な精神病としての狐憑きを考察していきたい。

現代において、狐憑きとは「抗NMDA受容体抗体脳炎」だと言われる場合と、「てんかん症状」であると言われる場合がある。

本章では「抗NMDA受容体抗体脳炎」と「てんかん」を分けて説明する。

本章においては、臨床疫学的な論文を参照したいと思い、探したところ、以下の文献・資料を引用・参照していくこととする。

抗NMDA受容体抗体脳炎

抗NMDA受容体抗体脳炎とは、脳組織抗原に対する免疫異常を原因と考えられる自己免疫性脳炎のひとつで、精神症状、傾眠、人格変化、てんかん発作、意識障害等の症状がみられる病気のことである。

若い女性に好発すると言われ、卵巣腫瘍を合併する頻度が高いとのこと。北里大学医学部 脳神経内科学 ホームページの「抗NMDA受容体脳炎」の説明を以下に引用する。

抗N-methyl-D-aspartate(NMDA)受容体脳炎は、2007年に、ペンシルバニア大学のDalmau教授らによって提唱された「卵巣奇形腫関連傍腫瘍性脳炎」であり、グルタミン酸受容体の一つであるNMDA受容体を構成しているNR1 subunitの細胞外抗原(GluN1)に対する抗体(抗GluN1抗体) を介して発症すると考えられている自己免疫性脳炎です。若年女性に好発し、感冒症状後に急速に統合失調症様の精神症状が出現し、痙攣、中枢性低換気、遷延性意識障害、口・顔面に好発する奇妙な異常運動を特徴とする脳炎です。

また、日本神経学会 抗 NMDA 受容体抗体脳炎の臨床と病態という論文から、抗NMDA受容体抗体脳炎」の症状の特徴を下記に引用する。

  1. 統合失調症様精神症状
  2. 痙攣発作
  3. 無反応・緊張病性混迷状態
  4. 中枢性低換気
  5. 奇異な不随意運動

このように、抗NMDA受容体抗体脳炎は、明治時代の狐憑きの診断と、患者属性(女性が多い)にも符号するような説明である。

てんかん

「てんかん」とは「てんかん発作」を繰り返す病気であり、「てんかん発作」の原因や症状は人によってさまざま。

詳しくは厚生労働省のみんなのメンタルヘルスから、以下引用する。

「てんかん発作」は、脳の一部の神経細胞が突然一時的に異常な電気活動(電気発射)を起こすことにより生じますが、脳のどの範囲で電気発射が起こるかにより様々な「発作症状」を示します。

てんかん発作の症状について、同じく厚生労働省のみんなのメンタルヘルスから、以下引用する。

「てんかん発作」の症状は、脳のどの範囲で異常な電気発射が起こるかにより多彩です。たとえば脳の一部で起こった場合(部分発作)では、光がチカチカ見える、手がピクピク動くなど、患者さん自身が感じられる様々な症状を示すことがあります。電気発射がさらに広がると、患者さん自身は発作の間意識がなくなり周囲の状況がわからない状態となります。一点を凝視して動作が止まって応答がなくなるなどの目立たない症状が出現します。電気発射が脳全体に広がると、全身のけいれん発作になります。

脳全体が一気に興奮する発作(全般発作)では、体の一部あるいは全体が一瞬ピクンと動くミオクロニー発作や、突然体の力が抜けバタンと倒れる脱力発作、ボーっとする欠神発作などの症状や、全身のけいれん発作が起きます。

てんかん

このように、てんかんは「てんかん発作」を繰り返す病気だが、その症状の中には抗NMDA受容体抗体脳炎と同様の症状も含まれる。

総括:狐憑きの真相

本記事では、狐憑きの歴史的経緯、および精神医学的な狐憑きの原因や症状について考察を試みた。経時的変化の中で、いつから狐憑きが精神病として取り扱われる意見が多くなったのかは、やはり明治以降である。

医学に限らず、さまざま分野で西洋の先進的な見解が持ち込まれたが、「狐憑き」についても例外ではない。原因や症状を科学的に説明しようという勢いがあったと推測される。

いずれにせよ、精神医学ではいまだに原因が解明されていない症状もある。「狐憑き」の根本的な原因も、いまだに謎に包まれている。

 

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