木之内みどりさんというとスリムでキュートな笑顔が浮かぶのだが、芸能活動は4年間と意外に短い。
そのかわいさから注目度は高いのに歌は売れない。それでもブロマイドが飛ぶように売れるという怪現象が発生し、違う意味でも注目を浴びていたスレンダー美人のグラビアアイドルだった。
清純派アイドルだった木之内みどりさんはダークなイメージで突然芸能界を引退し、現在は幸せな一般人の生活を送っている。
竹中直人さんの奥さまだと連想できる人が何人いるだろう。
いつ竹中直人夫人となり、これまでどんな人生を送っているのか、現在の様子などを追ってみた。
記事の内容
- 木之内みどりの現在、今は自然体で過ごしている
- 年齢は64歳
- 正統派な美人
- 夫、旦那は竹中直人
竹中直人のプロフィール - 2人の馴れ初め
- 娘や長男が誕生
- 木之内みどりの若い頃:動画や画像、歌や曲など
- 横浜イレブン
- ディスコグラフィ
- シングル曲13枚
- アルバム8枚
- 映像集
- 横浜いれぶん
- 無鉄砲
- 一匹狼(ローン・ウルフ)
- 木之内みどりが歌う『硝子坂』
- 硝子坂:高田みづえバージョン
硝子坂:長山洋子バージョン - 刑事犬カール
- 走れ風のように
- 野球狂の詩・水原勇気
- たった1冊の写真集
- 元夫は後藤次利
- 帰国後の謝罪会見
- 木之内みどりさんは永遠に輝く
- 総括
木之内みどりの現在、今は自然体で過ごしている
【木之内みどり・プロフィール】
- 生年月日:1957年6月10日
- 出身地:北海道小樽市
- 血液型:O型
- 最終学歴:明治大学附属中野高等学校卒業
- 活動年:1974年~1978年
芸能界を引退後は表舞台にはすっかり姿を見せなくなり、今でもその姿勢を貫いている。
ゴシップ的に芸能記者から追い回されることもないようで、自然体で過ごしているようだ。
年齢は64歳
1957年6月10日生まれなので、2021年現在64歳である。
木之内みどりさんとして活躍していた頃はまだ20歳前後で、折れてしまいそうなほどのきゃしゃなスタイルにかわいらしい笑顔で世の中の男性陣をとりこにしていた。
歌手としての大ヒット曲はなかったものの、ブロマイドだけは爆発的に売れまくるという怪現象が有名。
そんな木之内みどりさんももう64歳になっていたのか。
途中、怪しいゴシップ系芸能記者に追われることもなかったからか、その姿が表に出ることもなかったので永遠の少女のまま記憶に残している人も少なくはないだろう。
正統派な美人
当時20歳前後ということもあるが、本当に透明感のある美人。今あるアイドルの派手さは微塵も感じられない。
線が細く静かなイメージがあるが、決してはかなげなイメージではなく健康的なイメージである。
引退して40年以上も経つ今でも、ブロマイドはネット上で売られている。
取り引きされていること自体すごいことではあるが、そのブロマイドが40年経っても劣化させずきれいな状態で出品されていることに驚く。
逆にここまでたいせつに保存していたものを手放してしまうのか、と思わなくもないが。
夫、旦那は竹中直人
木之内みどりさんは芸能界を引退した5年後に結婚しているが離婚している。
そして1990年に再婚したのが俳優の竹中直人さんである。
プロフィール
- 生年月日:1956年3月20日
- 出身地:神奈川県横浜市金沢区
- 身長:168cm
- 血液型:A型
- 最終学歴:多摩美術大学美術学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業
- 肩書:多摩美術大学美術学部デザイン科グラフィックデザイン学科客員教授
- 所属事務所:レディバード
- 十八番ネタ:笑いながら怒る人
2人の馴れ初め
1989年、竹中直人さんが所属する劇団青年座は舞台『写楽考』の公演を行うためスペインに約1ヶ月間滞在していた。
そこで、偶然出会ったのが21歳の人気絶頂期に突然引退してしまった女優で元アイドル歌手の木之内みどりさんだった。
日本国内でもなかなかない偶然がスペインで起こったのである。そんな偶然を竹中直人さんが放っておくわけがない。
竹中直人さんお気に入りの喫茶店に誘ったときには、木之内みどりさんの美しさに一目ぼれ状態だったようで、すぐに結婚相手として意識していたようだ。
その後、仕事でニューヨークへ向かったという木之内みどりさんを追いかけてプロポーズしたという熱いオトコ・竹中直人さん。その手にはしっかりと婚姻届けが握られていたとか。
スペインでの偶然をしっかりチャンスに替え、ニューヨークまで追いかけていってしまうほどの愛情を向けられたら受け入れるしかないだろう。
女性は『愛するより、愛された方が幸せ』という言葉もあることだし。
そして、1990年1月26日、竹中直人さんは1人で東京都目黒区役所に婚姻届けを提出した後、仕事先のTBSにて入籍記者会見を開いた。
その時の竹中直人さんの言葉。
今まで、味噌汁というものを家で飲んだことがなかったんです。
いや、結婚して本当によかった。
そして、木之内みどりさんのコメント。
私も今まで色々ありましたが、今、竹中君と出会うために色々あったんだなと思っております。
2人の関係を大切にしていきたいと思います。
2人にとってたいせつな出会いになったのだろう。
娘や長男が誕生
竹中直人さんとの間に一姫二太郎、長女と長男が誕生している。
【長女・果南(かな)1992年生まれ】
幼稚園から成城学園に通い、卒業後は大手広告代理店に就職していた。
2017年、25歳のとき一般男性と結婚し子供も産まれている。
実家近くに住んでいるので孫はじじばばにもよく会っている。
愛娘の結婚報告では、父親の竹中直人さんは男泣きしていたらしい。
写真の竹中直人さんはまったく“素”のでれでれオヤジである。
【長男・星夏(せいな)1998年生まれ】
幼稚園から和光学園に通い、卒業後は都内のアパレルメーカーで営業をしているらしい。
まだ未婚のようだ。
木之内みどりの若い頃:動画や画像、歌や曲など
『横浜イレブン』の歌声にのって『GORO』の表紙他たくさんのなつかしい画像が楽しめる。
歌手というよりはグラビアアイドルとしての人気が高く、名カメラマン・篠山紀信氏撮影で知られる男性向け雑誌『GORO』の表紙を6回飾っている。
その6回のうち3回は引退した1978年に発売している。ラストは引退後の1978年10月12日号だった。
まさにアイドル絶頂期での予期せぬ引退劇だった。
年齢も21歳、引退後はいっさい姿を見せないところは昭和のスーパースター山口百恵さんを連想させる。
横浜イレブン
ディスコグラフィ
「家を建てたい」という壮大な夢を抱き、小樽から上京したのが16歳になったばかりの8月。
中学3年生のときに、日本テレビの「ミス・ティーン・コンテスト」に応募し優勝を逃したもののしっかりと準優勝している。
シングル曲13枚
1.めざめ
2.あした悪魔になあれ
3.ほほ染めて
4.おやすみなさい
5.学生通り
6.グッドフィーリング
7.東京メルヘン
8.ジュ・テーム
9.イマージュ
10.走れ風のように
11.横浜いれぶん
12.無鉄砲
13.一匹狼(ローン・ウルフ)
アルバム8枚
- あした悪魔になあれ(1974年10月10日)
- 十八歳の今(1975年12月21日)
- 透明のスケッチ(1976年5月25日)
- グッド・フィーリング(1976年9月25日)
- 硝子坂(1977年2月25日)
- ジュ・テーム(1977年7月25日)
- 横浜いれぶん(1978年3月25日)
- 苦いルージュ(1978年7月25日)
映像集
木之内みどりさんの芸能生活の中で歌われた楽曲が今でも聴けるのは嬉しい。
歌手としての成功がなかったのが不思議なくらい雰囲気のある歌手で、歌もうまい。
オリコン最高位28位になった木之内みどりさんの代表曲『横浜イレブン』と『無鉄砲』『一匹狼』のラスト3曲は『がらっぱち三部作』と呼ばれている。
横浜いれぶん
発売当時まだ20歳だった木之内みどりさんだが、妙に色っぽい。
もうこの頃には恋に落ちていたのだろう。
無鉄砲
路線を切り替えて、新たな方向性で歌手として売って行こうという時だったのではないだろうか。
一匹狼(ローン・ウルフ)
この曲の発売を待たずに引退せざるをえなくなった木之内みどりさん。
この路線で歌手として成功する未来が待っていたかもしれない。
木之内みどりが歌う『硝子坂』
『硝子坂』といえば高田みづえさんを連想する人がほとんどだと思うが、実は最初に歌っていたのは木之内みどりさんである。
シングルとしてではなく『硝子坂』というタイトルのアルバムの中におさめられた曲なので、ファン以外には浸透していないだろう。アルバムが発売されてからわずか1ヶ月後、『硝子坂』は高田みづえさんのデビューシングルとして発売され大ヒットすることになる。
もしこの『硝子坂』を木之内みどりさんがシングル曲として発売していたら、大ヒットして木之内みどりさんを代表する楽曲となり、木之内みどりさんの芸能生活も変わっていたのだろうか。
いや、この『硝子坂』は高田みづえさんの個性があったからこその大ヒットだったかと思う。
でも、高田みづえさんの『硝子坂』と聞き比べてみても決して劣ることはない。
木之内みどりさんの『硝子坂』にはやさしく語り掛ける、というよりささやくような甘い歌唱がありここちよい。
この曲を作曲した宇崎竜童さんは、このアルバムに『硝子坂』の他に5曲も楽曲を提供している。
木之内みどりさんの中に感じるものがあったのだろう。
硝子坂:高田みづえバージョン
高田みづえさんがデビューシングルとして発表した『硝子坂』は、発売後わずか1ヶ月半で31万枚を売り上げ、オリコントップ10入りを果たしている。
『硝子坂』は高田みづえさんのシングルの中では『私はピアノ』に次ぐ代表曲となっている。
硝子坂:長山洋子バージョン
クセのない歌い方でしっかり長山洋子さんの『硝子坂』として聴ける。
上記の動画とは別のシーンだが、竹中直人さんも長山洋子さんが歌っている姿を愛おしそうに見つめている。
そのくちびるはいまにも一緒に歌い出したくてうずうずしているようにみえる。
思わずほほえんでしまう竹中直人さんの姿だった。
(木之内みどりさんといると)自分がボロボロになるくらい弱いところを出せる。
いつまでも2人で映画館に行けるような夫婦でいたい。
こんな風に結婚会見で語っていたというのがうなづける。
きっと今でも実践しているのだろう。
この『硝子坂』は他にも由紀さおりさん、荒木由美子さんがアルバムで歌っている。
刑事犬カール
木之内みどりさんを語るのに欠かせないのが、木之内みどりさん主演のTBSテレビ系ドラマ『刑事犬カール』だろう。
このドラマは1977年9月から1978年6月までという長い期間での放送で、カールを演じたジャーマンシェパードの演技力が話題となった。
このカール役は300頭からのオーディション参加犬の中から選ばれた「クラッフォー・オブ・ツカサドール」(通称ジル)とその弟、妹、いとこが演じている。
ジルの代わりは妹犬が、弟犬といとこ犬は物を噛んだりする役として活躍していたが、犬にとって撮影はかなりのストレスになっていたようだ。
一時ジルがストレスから食が細くなり妹犬が代わりになっていたときがあったが、誰からも指摘されることはなかったというほど似ているらしい。
1981年に撮影された続編の終了後、残念ながらジルは他界している。
このカールの飼い主として、『ケンちゃんシリーズ』の子役として有名だった宮脇康之さんが出演していた。
走れ風のように
『刑事犬カール』の主題歌である。
野球狂の詩・水原勇気
1972年から『週刊少年マガジン』に掲載されていた水島新司さんの人気漫画『野球狂の詩』の水原勇気役に抜擢された木之内みどりさん。
後藤次利に関してはその前の嫁も俺の好きだった木之内みどりなので悪い印象しかない。
それにしても木之内みどりの水原勇気は可愛かったなー。 pic.twitter.com/Sby6TlvBHH— 東京ケーキ (@bacillus_army) July 22, 2016
たった1冊の写真集
木之内みどりさんの写真集を探してみたが、この1冊がヒットしたのみだった。
芸能生活が短かったとはいえ4年もある。
ブロマイドが売れていたのであれば、写真集だって出せば売れたであろう。
時代の違いなのだろうか。
元夫は後藤次利
数々のヒット曲を世に送り出している稀代のメロディ・メーカーの後藤次利さんは、秋元康さんとのゴールデンコンビでも有名である。
そんな有名な作曲家・後藤次利さん、実はアイドルキラーという異名もあるのですが、なぜかあまり悪いイメージがついていないように思う。
木之内みどりさんの最初の夫ではあるものの、付き合い始めた当初はすでに別居中だったとはいえ、シモンズという有名なデュオの1人玉井タエさんのご主人だったのである。
正式に離婚をした上で木之内みどりさんと結婚してはいるものの、お付き合いしていた時点では不倫である。
その不倫の交際が発覚してしまったのは、清純派アイドルの木之内みどりさんの事務所にとっては大打撃。
当の木之内みどりさんはどうしたらよいかわからず、仕事より後藤次利さんとの愛を選び、後藤次利さんと海外へ愛の逃避行をしてしまったのである。
まだ21歳という若い木之内みどりさんには、突然のことで何も考える余裕もなく芸能記者たちに追われることを恐れ、愛の逃避行へと踏み切ってしまったのだろう。
帰国後の謝罪会見
後藤次利さんと一緒に帰国した木之内みどりさんが会見を開き、すべて自分がいけなかったと反省を口にしていたようだ。
さすがに冷静になり自分がしたことの重さを感じてはいたのだろう。
「子供ができるようなことはしていません」
記者会見でこう釈明した木之内みどりさんのこの言葉の真意は定かではない。
後藤次利さんの方は「非はすべて男としての自分が受ける」とコメントしているあたり、木之内みどりさんとしては男気を感じてしまうところだろう。
そして正式に離婚をした時点で、問題はなくなり結婚という幸せをつかんだはずだったのだが、1987年に離婚。
その原因が同じく清純派アイドルとの不倫と言われているところが悲しい。
CHIEMI HORI - 愛を今信じていたい pic.twitter.com/MIb4LD3tzj
— Jpop80ss (@Jpop80ss) November 16, 2019
この不倫報道で一時芸能界引退を考え、『愛を今信じていたい』という意味深なタイトルのシングルを最後に芸能界を離れていた堀ちえみさん。
離婚が成立した後藤次利さんとのデートは重ねていたのだが。
新しい事務所と契約を交わし芸能界に復帰した堀ちえみさんは、理由はわからないが後藤次利さんとの結婚は諦めたようだった。
そんな後藤次利さんは、やはり人気アイドルだったおニャン子クラブの河合その子さんと1994年に再々婚している。
数々の女性の運命を翻弄させておいて、なんとも平和なオトコのようだ。
ぜひとも次なる被害者をつくらないようにお願いしたいものだ。
結局、ラストシングルとなった『一匹狼』発売の10日前、本人が不在のまま事務所から木之内みどりさんの芸能界引退が発表されている。
交際が発覚した時、冷静に対処できていれば、引退会見ではなく謝罪会見となりたくさんの人に迷惑をかけることもなかっただろう。
総括:木之内みどりさんは永遠に輝く
わずか4年という芸能生活で引退後40年以上経った今でも、木之内みどりさんの存在はしっかりと残っている。
根強いファンもたくさんいるのだろう。
楽曲の大ヒットはなかったけれど、『硝子坂』は『横浜イレブン』と一緒にぜひ聴いてもらいたい逸品である。
トーク番組で竹中直人夫人として夫婦で出演する姿を観られる日がきたらうれしいと思う。
黒柳徹子さんの番組や、笑福亭鶴瓶師匠の番組でぜひともお願いしたい。
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