小田和正さんといえばオフコース。オフコースの名曲の数々はあの高音が奏でる小田和正さんと鈴木康博さんのハーモニーがあっての深みだろう。
小田和正さんの若い時をシングル曲のジャケットとともに懐かしみながら、当時の記憶をたどってみるのはどうだろう。ざわざわとした日常から抜け出してみるのもたまにはいいかもしれない。
昭和の時代の画像ゆえ、若干不明瞭な部分もあるかもしれないが、そこはレトロということで楽しんでいただきたい。
懐かしい昭和の香りがするファッションも今の人にとっては新鮮に映るのではないだろうか。
記事の内容
- 小田和正の若い時:オフコース
- プロフィール
- オフコースとは
- 小田和正の原点は聖光学院高校
- 結成時メンバー
①鈴木康博
②地主道夫 - 小田和正の若い時、若い頃をなつかしむ画像
- 1970年『群衆の中で』でデビュー
- デビュー10年目に「さよなら」が大ヒット
- オフコース・1982年インタビューin宮崎
- 小田和正は若い時も今もただ音楽が好き
- 総括
小田和正の若い時:オフコース
小田和正さんを語る上でオフコースはどうしても切り離しては語れない。
オフコースは結成時からメンバーの入れ替わりがあったが、小田和正さんが唯一結成当初から解散時までオフコースのリーダーとしてメンバーに名を残していたからだ。
【小田和正・プロフィール】
- 名前:小田和正
- 生年月日:1947年9月20日
- 出生地:神奈川県横浜市金沢区
- 出身高校:聖光学院高校
- 出身大学:東北大学工学部建築学科
- 最終学歴:早稲田大学大学院理工学研究科修了
- 職業:シンガーソングライター、音楽プロデューサー、会社役員
- 活動期間:1970年~
- 事務所:ファー・イースト・クラブ
▼幼少期から品の良さをもった小田和正
オフコースとは
数々のヒット曲を送り出すも若い頃はテレビ出演NGを貫き、レコード制作とコンサート中心に活動していたためファン以外の人にはジャケット写真や音楽雑誌に載っている小田和正さんを探すしかなかったかもしれない。
オフコースはもともと高校時代の同級生が集まってつくられたバンドで、高校1年のクリスマスパーティーに始まり学園祭で大々的に人気を得た流れがある。
聖光学院高校3年:聖光祭
小田和正
聖光学院祭 pic.twitter.com/sl26tg4X— 濱 (@oda622) March 20, 2012
1982年、鈴木康博さんが脱退し、オフコースとしての活動を一時休止している。小田和正さんあってのオフコースであり、鈴木康博さんあってのオフコースという感覚があったので、まさかの鈴木康博さん脱退にオフコースはこのまま解散するのかと思った人も少なくはないだろう。
それでも、活動再開後は鈴木康博さんの不在を感じさせずヒット曲を連発するのだが、1989年に解散を決断する。デビュー19年目のことだった。
個人的にはあと1年続けて20周年のコンサートを大々的に行ってからのフィナーレでの解散、もありだったのではないかと思うが、その1年が続けられなかったのだろう。
オフコースといえば、小田和正さん、鈴木康博さんの2枚看板というイメージもあるが、やはり繊細な歌声で奏でられる名曲の数々は今の若者の心にも届く名曲ばかりだった。その小田和正さんの歌声は今も昔とほとんど変わらないといってもいいだろう。70歳を超える年代の人であれだけの声を出せる人もなかなかいない。
小田和正の原点は聖光学院高校
横浜市立八景小学校を卒業した小田和正さんは、受験をして聖光学院中学校(偏差値70)に進学している。第一志望は栄光学園中学校だったのだが不合格だったそうだ。そしてそのまま聖光学院高校へと進んでいる。
聖光学院高校は私立の男子校で、小田和正さんは中学・高校と野球部に所属している。意外と運動神経がいいようだ。進学校なので普通は高校2年で辞めるところだが、小田和正さんは高校3年生の夏まで野球を続けていた。
結成時メンバー①鈴木康博
同じく第一志望の栄光学園中学校に落ちて聖光学院中学校に進学したのが、オフコースの結成当時のメンバーである鈴木康博さんだ。出会うべくして出会った同級生である。
鈴木さんと二人だけでオフコースを始めた頃の作品、
ずいぶん前のですが、全部聴いてみましたけど、
情緒豊かな素敵な曲が多いです
この時代の映像って、残ってるのでしょうか
まだ観たことがありませんhttps://t.co/etkEOOUtHI ←動画はコチラから#小田和正 #オフコース #ワインの匂い pic.twitter.com/wO18P3WmcP
— sizun325 (@sizun325) November 16, 2018
②地主道夫

【左が小田和正さん、右が地主道夫さん】
地主道夫さんは中学1年でギターに興味を持ち、小田和正さんの家に行っては小田和正さんの兄のレコードを聴いて曲を覚えていた。そして学内クリスマスパーティーでの演奏となる。
小田和正さんは高校時代の授業で建築模型を製作し建築に興味を持ってはいたようだ。大学進学については医者になるため千葉大学医学部の受験を考えていたが、大学見学の際の消毒液のニオイとカーテンの汚さに嫌気がさし進路変更を決める。
ちょうど親元を離れて建築家を目指したかった地主道夫さんが東北大学工学部建築学科(偏差値60)に行くというので、「じゃあ、自分も」と小田和正さんも同じ道を選択したのだった。
そんな地主道夫さんも鈴木康博さん同様オフコースの結成時のメンバーである。
1971年2月頃オフコースを脱退した地主道夫さんは、1973年竹中工務店に入社し一級建築士の資格を取り設計課長の時にはコンペ勝率5割超え。エルメスやプラダの店の設計を担当するほどの建築士になっている。
設計総括部長や設計専門役を経て退職し個人事務所を設立。
母校・聖光学院の校舎建て替え工事の設計と監修を担当し7年間かけて完成させた。完成時にはホールにて3日間連続で小田和正コンサートが行われた。(2014.12.20)
簡単にブログに、本日の聖光学院新校舎コンサート、小田和正さんのコンサートの感想をかいてみました!http://t.co/jQGsUeVfok pic.twitter.com/rEb61clNFA
— jljlmatu (@jljlmatu) December 21, 2014
著名な建築家となっている地主道夫さんは、「小田は自分の誇りです。いないと困る存在です。音楽と建築って似てるんですよ」と一流のミュージシャン小田和正さんとそれぞれの世界で生涯現役を実践したいと思っている。
小田和正の若い時、若い頃を懐かしむ画像
小田和正さんはオフコースのリーダーとして結成当初から解散時まで唯一在籍していたメンバーである。
1970年『群衆の中で』でデビュー
当時はアコースティック・ギター中心でフォークソングというくくりの曲を歌っていた。
デビュー7年目にギターの松尾一彦さん、ベースの清水仁さん、ドラムスの大間ジローさんが加わり、キーボードとシンセサイザーを含むバンドサウンドになった。

【眠れぬ夜 1975.12.20】

【秋の気配 1977.08.05】

【ひとりで生きてゆければ 1976.05.05】

【愛を止めないで 1979.01.20】
デビュー10年目に「さよなら」が大ヒット

【さよなら 1979.12.01】

【YES-YES-YES 1982.06.10】

【君が、嘘を、ついた 1984.04.21】

【call 1985.02.21】

【K.ODA 1986.12.04】

【僕の送りもの 19880305】
総括:小田和正は若い時も今もただ音楽が好き
野球少年だった高校生の小田和正さんが同級生と始めた音楽バンドがオフコースという偉大なグループとなる。鈴木康博さんという相棒を得て小田和正さんの歌声もより味わいを深くする。
かけあわせることで幅がひろがっていくのが音楽というものなのだろう。
70歳を超えた小田和正さんが今も色あせないのは、積み重ねてきた音楽がずっと生きているから。
若かりし頃の画像をみているだけで頭の中には当時の音楽やさまざまなシーンがめぐりめぐっているのではないだろうか。
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