高島雄平の全貌:現在や家族、学校やレジェンド校長と呼ばれた所以

2015年4月8日、「児童買春・ポルノ禁止法違反」の容疑で1人の男が神奈川県警に逮捕されました。逮捕されたのは横浜市の元中学校長「高島雄平」です。元教育者がこの容疑で逮捕されたこともさることながら、世間を驚かせ話題なったのは高島雄平が買春した人数で、実に12,660人にも及びました。

元教育者の児童買春・ポルノ禁止法違反、そして1万2千人以上に上る買春という犯罪行為により、世の中の親や保護者、女性から非難が殺到した一方で、不謹慎ながらネットでは「レジェンド校長」などと称賛する声も上がった高島雄平です。

この記事では高島雄平の常軌を逸したと言える性犯罪について、高島雄平がそこへ至るまで、そして何をしてその後どうなったのかを解説します。

高島雄平

記事の内容

  • 高島雄平のセンセーショナルな犯罪行為
  • 高島雄平が容疑者となったきっかけ
  • 家宅捜索でフィリピンでの行為が明らかに
  • 裁判と下された判決
  • 金沢区富岡西の自宅で引きこもった
  • 意外な人望
  • 高島雄平の経歴と性犯罪とのつながり
  • 生い立ちや学歴・経歴
  • 買春の始まりはフィリピン時代
  • 横浜市立芹が丘中学校校長
  • 定年退職後の高島雄平
  • 高島雄平の家族や近況はどうなっているのか
  • 家族や子供
  • 息子が語った高島雄平
  • 出身大学などのこと
  • 高島雄平の現在
  • 高島雄平は前代未聞の性犯罪者だが人望も厚い二重人格
  • 総括

高島雄平のセンセーショナルな犯罪行為

教職員による性犯罪は世間の注目を集め問題視されるもので、2021年(令和3年)5月には、わいせつ教員への教員免許再交付を拒否するための「児童生徒性暴力防止法」が可決・成立しました。

しかし高島雄平の逮捕容疑は一般的なわいせつ教師の「それ」とはかなり異質なもので、行為は日本国内ではなくフィリピンで行われていました。しかも想像をはるかに超える性行為の回数、そしてその行為を病的なまでの緻密さで記録に残していたという異常性が世間の注目を集めたのです。

まずは高島雄平の犯罪に至るまでと、逮捕から裁判の経緯を時系列で見ていきましょう。

高島雄平が容疑者となったきっかけ

高島雄平が児童買春・ポルノ禁止法違反で逮捕された最初の容疑は、逮捕前年の2014年1月1日ころ、フィリピン・マニラ市内のホテルで13~14歳くらいの少女3人と淫らな行為をし、その様子をデジタルカメラで撮影し、画像のデータを保存していたというものです。

これは「児童買春・ポルノ禁止法」第七条の「自己の性的好奇心を満たす目的で、児童ポルノを所持した者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する」に該当する容疑です。

ことの発端はフィリピン捜査当局から日本の警察庁に「買春を重ねている日本人がいる」という情報が入ったことです。2014年2月に家宅捜索に入り、この段階で後に驚愕の事実の裏付けとなる14万枚以上に及ぶフィリピン人女性の写真を整理した410冊のアルバムは押収されています。

家宅捜索でフィリピンでの行為が明らかに

家宅捜索で押収された410冊のアルバムですが、そこには高島雄平がフィリピンで買春し性交した女性の写真が約14万7,600枚収められており、几帳面なのか最初に買春した女性から順番に番号が付けられていました。

そして最後の女性に付けられていた番号は12,660番で、つまり高島雄平は12,660人のフィリピン人女性を買春していたのです。

裁判でも明らかになりましたが、これほどの数の女性と関係を持った期間は高島雄平が1988年から1991年にかけてマニラの日本人学校に勤務していた3年間と、日本に帰国後は毎年春・夏・冬の長期休暇のたびにフィリピンに渡航した2014年1月までの65回の間のことです。

高島雄平の供述によると多い日には50人もの女性相手に性交をしていたらしく、さらに驚くことに相手にした女性の年齢が14歳から70歳という幅広さでした。「来るものは拒まず」を地で行くような異常な性欲で、その人数・性交相手の年齢の幅広さ・ナンバリングして管理するという行動など、常軌を逸したその性犯罪は世間の注目を浴びました。

世の女性からは汚らわしい鬼畜扱いで、多くの男性からも軽蔑の目で見られましたが、ネットの一部の「レジェンド校長」と呼ばれ、半ば英雄視されるような事象も見られました。しかし世論の大勢は「許されない性犯罪で、日本の信頼と品位を汚す行為」というもので、2015年12月17日に開かれた初公判は傍聴席30席に対して、6倍近い傍聴希望者になりました。

裁判では検察の起訴内容を認め、「昔から記録癖があり、食べたもの、行った場所すべて写真に撮っており、そのなかの一連のもの」と、わいせつ写真を撮影した理由にもならない理由を供述しましたが、検察は「フィリピンと日本の経済格差に着目し、性的欲求を満たす身勝手さには再犯の恐れがある」として懲役2年を求刑しました。

裁判と下された判決

高島雄平の児童買春・ポルノ禁止法違反についての裁判は、高島雄平被告が起訴内容を認めていたため2015年12月25日に判決公判が開かれるというスピード結審でした。これは高島雄平自身が「裁判を早く終わらせたい」と希望していたとおりの結果です。

横浜地裁の大森直子裁判官は高島雄平被告に「懲役2年、執行猶予4年」の判決を言い渡しました。執行猶予はついたものの裁判官から高島雄平へ「フィリピンの児童の経済的苦境に乗じた犯行で、少女の健全な成長に悪影響が懸念される」「日本人への信頼を損ね、教師として子供を守るべき立場にあったことを決して忘れぬよう求める」と言及されています。

金沢区富岡西の自宅で引きこもった

高島雄平の破廉恥な事件は世間の注目を集め、住所はすぐに特定されネットなどに出回りました。

場所は横浜市金沢区富岡西とまで特定され、テレビ報道で自宅の様子が流されドイツ車のBMWと軽自動車の2台持ちであることも知られました。

逮捕前年に家宅捜索を受けてから、当然のように妻や子供から非難・罵倒され、高島雄平本人も裁判で「妻に叱られ、家族の会話はなくなり、自宅に引きこもっている」「眠れなくなって、飲めない酒を飲むようになった」と告白しています。

意外な人望

12,660人という規格外の買春をし続けた高島雄平ですが、その割に「懲役2年、執行猶予4年」という軽い量刑になったのには理由があり、高島雄平を告訴しようという人がほとんどいなかったからです。つまり買春されたフィリピン人女性の大部分は、「被害に遭った」という認識がありませんでした。

それどころか「思いやりのある優しい男性」という声も多く、実際に性交した少女の学費支援をしたり、売春婦の性病対策のために薬を用意して渡したり、高島雄平に感謝する声が多いことは事実なのです。とはいえ高島雄平はフィリピン政府から再入国を禁止されています。

高島雄平の経歴と性犯罪とのつながり

2015年4月に逮捕されたとき、高島雄平は「横浜市の元市立中学校の校長」という肩書でした。

つまり現職の教職員ではなかったのですが、その後の裁判で明らかになったとおり、フィリピンで淫らな行為に耽っていたのは現職時代も含まれていました。

ここでは高島雄平の経歴を追いながら、フィリピンで買春を重ね、その行為の画像をコレクションするようになっていく過程を考えてみます。

生い立ちや学歴・経歴

恐らく高島雄平に関して記録の多くが非公開、もしくは削除されています。分かっているフィリピン赴任前の学歴・経歴の最初は1975年に横浜市の教員として採用されたことです。その後の経歴でも理科担当だったことが分っています。

横浜市で教鞭をとりながら文科省の「在外教育施設派遣試験」に合格しました。後の破廉恥な犯罪でみせた顔と違う、非常に向上心に溢れた教員としての顔が見られます。

買春の始まりはフィリピン時代

文科省の在外教育施設派遣試験に合格した高島雄平は、1988年から1991年までフィリピンの首都マニラにある日本人学校に理科の教師として派遣されました。この海外派遣ですが、試験合格後に都道府県の推薦を受けた上、文科省の面接で合格しなければならず、高島雄平が教員としては優秀だったことが分ります。

このフィリピン赴任時に買春に憑りつかれた高島雄平です。本人の告白によれば最初は夜の繁華街で売春婦が妖艶な踊りを披露する「ゴーゴーバー」へ週3~4日通うことから始まりました。やがて売春ブローカーから女性を斡旋してもらい、後年明らかになった「性交し撮影」することが目的化したのです。

当時教え子だった人物の証言では、「非常に人懐っこく優しい先生」という評価がある一方、「夜に相当出歩いている」という噂もあり、家族に気づかれなかった理由が謎だと言えます。

横浜市立芹が丘中学校校長

マニラの日本人学校での勤務を終えた高島雄平は帰国し、横浜市内の中学校3校で副校長を務め、その後2008年から「横浜市立芹が丘中学校」で校長になりました。2011年に定年退職するまでの3年間ですが、これが「レジェンド校長」と言われた高島雄平の教員人生のピークだった時期です。

しかし高島雄平は校長であったこの時期も長期休暇の度にフィリピンへ渡航し、数多のフィリピン人女性を買春して撮影していました。高島雄平が逮捕されたのは芹が丘中学校を定年退職して4年後ですが、校長時代を知る生徒はいないにせよ、同僚だった教員はいたはずで、相当な動揺があったことでしょう。

定年退職後の高島雄平

高島雄平は2011年3月に定年退職したのですがその後も仕事を続け、2011年4月から横浜市立中和田中学校に再任用され、主に新任教諭の指導を担当し、2012年3月まで勤務していました。

それからも逮捕直前の2015年3月まで公益財団法人・市教育文化研究所の研究員として勤めていたのですが、驚くべきは2014年1月までし続けていた買春行為を周囲の誰も知ることがなく、高島雄平も平然と勤務し続けたことです。

高島雄平の家族や近況はどうなっているのか

高島雄平は逮捕時に元教員でしたが、1万2千人を超えるフィリピン人女性を買春していたのは現役時のことであり、それが故に「レジェンド校長」と言われました。

そんな「性獣」高島雄平の家族や現在の様子はどうなっているのでしょうか。犯罪者とはいえ、ある程度名誉やプライバシーに配慮しながら追ってみました。

家族や子供

高島雄平には妻と3人の子供(男2人、女1人)の家族がいます。逮捕時に3人の子供は成人しており、長男と長女は家を出て独立し、高島雄平は妻と次男の3人暮らしでした。

裁判で本人が語ったように事件発覚後は家族との会話もなくなったようで、身から出た錆とはいえ家族の中で浮いた恥ずかしい存在になったようです。

息子が語った高島雄平

高島雄平の事件はセンセーショナルで世間の注目を集めたので、横浜市の自宅には多くのマスコミが押寄せました。その中で同居していた次男が何度かマスコミ対応せざるを得ず、インタビューも受けていたのですが、そこで語られた父高島雄平は「(少なくとも事件発覚前は)厳格な父親だが自慢できる父親」でした。

マニラから日本へ戻り、そこから23年間も長期休暇のたび「マングローブの植林のボランティア」と家族に話しフィリピンへ買春の旅をしていた高島雄平ですが、息子の言葉からは高島雄平の嘘を家族は信じていたことが分ります。

出身大学などのこと

高島雄平の出身大学や学生時代のことはネットなどでも分からなくなっています。確かに高島雄平本人ならともかく、出身大学やその関係者からすれば「12,660人もの買春を行い、アルバムに整理していた変態校長」と結び付けられたくないので、全力で削除したのではないかと推察します。

恐らく高島雄平の友人や元教え子などの多くも「レジェンド校長」との関係が知られると、周囲から好奇の目で見られるはずですし、彼らの多くの中では「無かった事」なのかもしれません。

高島雄平の現在

高島雄平は現在も浜市金沢区富岡西の自宅に住んでおり、相変わらずご近所付き合いもないままひっそりと暮らしています。

近所の住人の証言によると、家を出るときには車で出かけるので顔を合わせることがないようです。実際は顔を合わせられないのでしょうが、高島雄平は今日どのような心境で生きているのでしょうか。

総括:高島雄平は前代未聞の性犯罪者だが人望も厚い二重人格

記事のポイントをまとめます。

高島雄平について

世間を驚かせた事件発覚と判決まで

  • フィリピン捜査当局に目を付けられていた高島雄平
  • 逮捕のきっかけは少女3人との淫行の撮影
  • コレクションで明らかになった「12,660人との淫らな行為」
  • 桁外れな行為で「レジェンド校長」と呼ばれる
  • 意外と軽い量刑とその理由

高島雄平の逮捕前までの歩み

  • 1975年に横浜市に教員として採用された
  • 1988年からマニラの日本人学校で勤務し淫行スタート
  • 帰国後も真面目な教員の傍らフィリピンへ淫行旅行
  • 2008年に芹が丘中学校校長へ就任
  • 逮捕直前まで働き続けた高島雄平

高島雄平の家族や近況

  • 妻と3人の子供、そして針のむしろ
  • 関係者から消されているのか?高島雄平の過去
  • 現在も横浜市金沢区でひっそりと暮らす高島雄平

高島雄平は12,660人という信じがたい数の買春を、非常に短い実働日数でこなし続け、その恐ろしいまでの性欲から「レジェンド校長」とまで呼ばれました。興味深いのは教職員としての高島雄平と、セックスモンスターとしての高島雄平が余りにもかけ離れていて、教職員としての彼を知っている人に「別の顔」を少しも疑われなかった事実です。

高島雄平自身もどこまで自覚していたか分かりませんが、ひょっとして完全な二重人格の持ち主で、フィリピンへ入国することでスイッチが入る人間だったのかもしれません。

犯罪が起こるたびに「そんな人間だったとは信じられない」という知人などのインタビューを目にしますが、誰にでも高島雄平のようになってしまう危険があるという、悪しき前例として記憶に留めておく必要があると思わせてくれた「レジェンド校長」です。

 

スポンサーリンク

© 2021 One Million Labo